ディスプレイの設定が選択から消えた

使っているセカンドモニターの画面が少し上の方が切れているので解像度の調整をしようとしたら選択肢から適当なものを選べなかった。

Linuxはこういうときにはテキストでパラメタの設定ができることが多いので、調べてみたらズバリがあった。

Ubuntu 18.04 で解像度が見つからなくなったときの対処
https://blog.capilano-fw.com/?p=1881

xdandrで自分のディスプレイを探す
以下のコマンドの第一パラメタ(HDMI-2)と第二パラメタを調べた上で入力。
なお第一パラメタは、上のxandrでわかる。第二はモニターの仕様書を見れば良い。

sudo xrandr --addmode HDMI-2 "1920x1080_60.00"



内部統制とダイエット

米国のSOX法、日本の金融商品取引法以来、「内部統制」という言葉が人口に膾炙するようになった。
概念自体は、大東亜戦後、証券取引法が整備されて、監査制度が導入されたときから「二重責任の原則」の一端として説明されてきたのだが、世間の人に知られるようになるまでに60年もかかったことになる。
法律が具体化される以前から、上場企業を中心に主体的に取り組みを始めたところもあるようだが、腑に落ちていないところがある。
まずは、いわゆる「文書化」という点だけが殊更クローズアップされている点。
本来必要なことは、不正、誤謬、事故などが発生しないこと(予防)や早期に発見できること、そして改善されるという、企業活動の一連の向上プロセスであるべきなのだが、なぜか「文書化、文書化・・・」とお経のように唱えているのは、「形から入って心に至れ」という日本的思考様式の表れなのか・・・。
次は、「文書化の手法」である。「フローチャート」「業務記述書」「リスク・コントロール・マトリクス」(いわゆる3点セット)が揃えられることが文書化の要件のように言われており、内部統制のデファクトスタンダードになってしまっている点。
フローチャートで業務の流れを把握し、RCMでリスクとコントロールポイントを明らかにして、業務記述書で詳細に説明されているのは、第三者が監査を実施するうえでは、体系的に整理された非常に便利なツールであり、本来は外部の監査人が「内部統制を理解するため」に用いられるツールなのだが、なぜか、会社が内部統制を「整理」(整備ではなく)するためのツールとなってしまった。これは、経営者による評価であっても外部監査人による監査であっても、内部統制をどうやって「見るか」という点と、どうやれば内部統制を有効に構築できるかという点とが混同されていることになる。
3番目は、内部統制の「整備」とは何かということがまったく議論されずに、「内部統制は経営全般のテーマだ」とか「財務報告にかかる内部統制」の側面だけが強調される結果、理解が深まらないまま「必要最低限のアプローチをしろ」「経営全般を見直せ」といった両極端な指示が経営者から出てしまう点である。
無論、会社として整備すべき内部統制とは、経営戦略の表裏の関係にあるリスクの把握であり、リスクに対する回避策であり、そのプロセスへの落とし込みであり、定款から始まる諸規程の体系であり、業務マニュアルの整備である。内部統制を整備するというのは、こういった一連の仕事の流れを経営環境と戦略の遂行に併せて常時維持改善していくことを取り決めることであり、一方、内部統制を運用するということはそれを現場で実践していくということなのだが、必ずしもそういった方向での理解にはなっていないようだ。その上で、文書化に金がかかるという主張ばかりが強調されて法律が一方的に悪いというのもへんな議論である(もちろん私は今の法概念をサポートしない立場にあるのだが)。
法律として「内部統制の整備」が導入されてしまったばかりに、焦る経営者の姿勢も分からないではないが、本来は60年も前からある経営者としての責任を、なぜ殊更いまの段階になって「急に」会社として対応しなければならなくなってしまったのか、そこを最も問うべきなのだが。
メタボリック症候群と指摘されて体型に着目しダイエットと称して食事制限をいきなり始める前に、自分の健康とはどういうことなのかをきちんと位置づけた上で、生活パターンを客観的に理解して、やせるためのダイエットではなく、薬膳としての食餌療法(本来のダイエット)に取り組まねば、内部統制とて法律がなくなったり変わったりしたとたんに、リバウンドが来て、元の肥満体に戻るのは目に見えているのだが、そのときは今の経営者はいないのだろうか。


JSOX対応

という会計パッケージソフトがある。
一体なにが「対応」しているのか何も書いていない。
どうやったら「対応」できるのか、こちらとて知らないのに・・・。
昔、某社のCMで、田原俊彦演ずる若手社員が、ポール牧演ずる社長に向かって、
「社長、うちも戦略情報システムを入れましょう!」というと、
「はぁ~?」
ポール牧こそ正しい判断力の持ち主である。


交差点

横断歩道を渡るときに、右折してくる車に轢かれそうになって怖い思いをしたことが何度かある。
運転者の立場では、左折車の場合は、進行方向に歩行者が見えるので、横断歩道を渡っている歩行者を轢くことはない。反対に歩行者は内輪差による巻き込まれに気をつける必要はある。
右折車は、対抗車線が開いているかどうかに気を取られて、歩行者にはあまり目が行っていない。これは右折車が交差点に進入して待っているため、早く交差点外に出たいという気持ちがあるからかもしれない。
とはいえ、ちょっと間違えば人の命に関わる問題である。交差点システムとしての工夫はできないものか・・・とかねてから思っていたが、歩行者と車両とを「完全分離」することができればこの問題は解決する。
典型的な東西方向と南北方向に道路が交わっている四辻の交差点を想定しよう。
つまり、交差点を一時的に歩行者に開放し、斜め横断も含めて歩行者には自由に移動してもらう、その後、東西の車の流れ、南北の車の流れというふうに、パスを作っていく。こうすれば、少なくとも歩行者と車両とは完全分離できるはずだ。
この方法のさらなるメリットは、従来の交差点は信号が青になっても歩行者がいる限り直進以外の車両は交差点にとどめられているという問題を解決できるという点だ。特に歩行者の多い都心部や学校や商店街近くの交差点ではこのメリットは大きいはずだ。
さらに、歩行者が交差点を斜向かいに進みたいときは、東西方向⇒南北方向というように二度わたらなければならないところを、一度斜めに渡れば用が済むという事で、これは車両を横断歩道で停止させることを一度で済ませるというメリットにつながるはずだ。
以上の話は、既にスクランブル交差点などで実現されていることなのだが、これがなぜもっと広く行き渡らないのか不思議でならない。いまやネットワークと監視装置とソフトウェアで交差点の信号は簡単に遠隔制御できるはずだ。時間帯や交通状況に応じて上記の組合せをすれば、事故の防止に繋がると思うのだが・・・・。
交差点を経済学的に捉えれば、安全と効率のトレードオフの関係だということになる。今の交差点は安全も少なからず犠牲にしているだけでなく、効率も悪い。
もっとも、凡人がこういうことを言う前に、頭のいい人たちが既にこういう研究をされて結論を出しているのでしょうねぇ。