逆説の日本史23 明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎

逆説の日本史23 明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎

https://www.shogakukan.co.jp/books/09406827

ページの半分は朝日新聞の報道姿勢に対する批判が連なっている。
批判は批判として特にマスコミのあり方として真実を究明しようという姿勢が見られない面がある点は、大いに糾弾されて然るべき。

残念なことは報道事実が誤りなのであればそれを唯した筆者としての見解の方に議論の中心を持っていくべきなんだろう。

廃仏毀釈の話題については、長州が京都で西本願寺などに匿われたことから仏教擁護派で、逆に薩摩は歴代藩主の菩提寺も含めて徹底的に寺社を潰し、神道化を進めていったという視点は、これまだなかった。

国家神道や天皇の神格化は昭和16年の開戦以前はそれほど強くなく、国定教科書にも採用されていないという。


尊皇攘夷―水戸学の四百年

尊皇攘夷―水戸学の四百年

https://www.shinchosha.co.jp/book/603868/

水戸学とは水戸光圀から始まり幕末の尊王攘夷思想の理論的基盤となったことで知られているが、その土壌として水戸藩沖には古くから外国船が往来しており、地元の漁師は薪炭や食料・飲料水の供給などで既に交流があったことが挙げられている。




吉田松陰『孫子評註』を読む


2018年12月25日読了

荻窪駅で下車した時に時間があったので駅ビルの上の書店を散歩していたら、偶然見つけた一冊。まだ発売日前だったのでおそらく棚に置かれたばかりだったのだろう。これもご縁。

著者は吉田松陰の研究者ではなく孫子など戦略の研究者の立場から、松陰の孫子評注を、日本の孫子研究の中でも幕末の緊迫した国際政治情勢と江戸期に研究された孫子の集大成として評価している。
内容は松陰独自の孫子の解釈を引用しつつ著者の立場からの孫子解釈も加えたものだ。
しかしながら、おそらく著者のもっとも主張するところは、現代人の孫子の解釈は如何にも偏っていることを懸念している点だろう。
対共産党戦線でも敵方に日本の研究の浅さを読み取られて負けてしまったのだと言っている。
「戦争に及ばぬ力の闘争はさらに多様であるということが、念頭から抜け落ちていないだろうか。」で締めくくられている。