書店のかご

最近の大型書店では、たいていは買い物籠が置いてある。
万引きなどが多い業界でもあり、その防止には一役買っているだろう。

しかし、今日、新しい役目を発見した。

かごを持っていると、手持ちで購入するより明らかに購入量が増える。
書店では、片手で持てる冊数以上の本を買おうとすると、それなりの困難が伴うことを、纏め買いする人は知っている。
ところが、かごがあるとその困難が減少する。
それは顧客サービスとも言われる。

そこでかごに隙間を見つけてはついつい「余計に」買ってしまう消費者がいるのだ。
かばんを預けてかごを持って書店に入ったりしたら、どうなるかと考えるだけで恐ろしくなる。


なんとなく分かってきた

昨年の人事異動以降どうも本を読まなくなってしまった・・・という話は、いつかここに書いた。
定期購読している仕事用の雑誌も封を開けずにそのままになっている。
向学心がまるでなくなったわけでもない。
単に億劫なのだ。
休日に時間をもてあましているが、適当にネットサーフィンして時間をつぶしている。
本屋に行っていないわけではない。というより行けば1冊は買ってしまう。しかしそのまま積読になってしまうのである。

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本を処分する

二人の子供が高校・中学とそれぞれ進学することになったので、学習環境を構築すべく、それまで私が書斎兼物置として使っていた部屋を明け渡すことになった。オオクニヌシの国譲りといえば格好がいいが、さすがに居間で勉強させるのもこっちが気が引けてしまうので、件の決定をした次第。
問題となるのが、本棚に入りきれずそのままダンボールに入っていたり野積みされたりしている書物や釣り道具などのガラクタ類をどうするかなのだが、この際、断腸の思いで一部の本を古書店にリサイクルすることにした。
中には、学生時代から保管している本や読むべく購入したままになっている本もあるのだが、捨てるわけではないので許していただこう。
しかし、本のサイズというのはどうしてこう区々なのかな。
というわけで、田舎の空間が広い場所に住みたいと思うのであった。
といっても、まだ本棚に入りきらない本が単行本を中心に200冊くらい床上を占領している。
図書館に設置されているような、木造で足の部分がややはみ出ていて背中合わせで両面出し入れ可能で棚が1センチピッチで調節できる本棚がほしいのだが、どこに売っているのだろうか。特注品とも思えないが。


フッサール

ゴンチャロフ氏のご紹介により、現代思想の別冊「フッサール」を購入。
面白そうだが、字が小さいのが困った。最近、大きい活字の文庫本に慣れてきているので。
例によってついで買いをしてしまい、新田義弘「思惟の道としての現象学」も購入。
仕事が一段落したらゆっくりと読みたい。