卑弥呼の時代

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吉川弘文館の「読み直す日本史」シリーズ。日本史関連の著作のうち研究成果の高いものが絶版されることを危惧して再版するありがたい企画。本書も初版は95年に新日本出版社から出されたもの。

邪馬台国の時代についての考証。いわゆる九州説、大和説を脱し、東アジアにおける政治情勢や日本列島内部の「倭国大乱」とを絡め、考古学の研究成果の視点を織り交ぜた分析の手法をとる。いまでは当然視される手法だが、当時としては斬新だったのだろう。
「王」という立場にあった卑弥呼は、その後の国家の形ができる前の時代の末期であったというのが著者の視点。


プラトンとナード

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タイトルは「ナード」(つまり、オタク)だが、人と技術の創造的連携というサブタイトルが示すように、人工知能時代を論ずる真面目な情報論。

自然の法則は必ずしもデジタルな表現はできないという点と、ゆえに人との協調が必要であるという点を、半導体のオン・オフの仕組みから紐解いていき、ハード、ソフト、情報と議論を発展させ、決定論や蓋然性/可能性の議論も織り交ぜ・・・と、頭をぐちゃぐちゃにさせられる疲れる内容。
第7章の情報(エントロピー)の話や、第11章の蓋然性/可能性は、ここのところ興味を持っている内容なので、この章だけでも楽しく読める。
少しの技術的な知識があったほうが読みやすいが、議論の展開上から技術自体の情報的な本質をも解説しているので、むしろ技術者が「意味」を問う際には参考にできるのでは。
人工知能、恐れることもないが舐めてもいけない。人の創造性を助けるために人工知能を使うという考えには得心。


〈ひと〉の現象学

鷲田先生の文章は哲学書にありがちな小難しさがなく語り口の味わいが深いので、好んで読んでいる。
得てしてこの手の書物は、雑誌の連載物の書籍化が多いため、読者が私程度を想定されていて、教えられている学生さんのレベルではないからなのだが、読んでわかるというのは気分がいい。

以下のくだりが気になったので、読み返すためにメモっておく。ーーシヴィル「市民」が市民になるとき

現代の科学技術は高度に専門化し専門家以外には評価し得ないものになっている。一般市民に影響が大きいにもかかわらず理解構想できなくなっている。しかし専門研究者も自らが専門とする分野以外は構想できなくなっており、「特殊な素人」である専門研究者も非研究領域では、結局は専門分野の社会的影響を評価できない。