開国のかたち

松本健一(著)岩波現代文庫(2008年)
著者による週間エコノミストへの連載を一冊にまとめたものである。
凡そ歴史とは、現代に連なる時の流れを後の時代において意味解釈したものであり、歴史を論ずるにあたっては必ず論者の歴史観を支えている視座が大きく影響する。通俗的には、幕末維新は、幕府、京都、薩摩、長州、会津などの「幕藩体制」という組織的視座で捉えられ、黒船をはじめとする列強の外圧という環境因子が、雄藩を動かし倒幕に至ったとされているが、実際の組織の振る舞いはさほど単純ではない。


そもそも、長州藩であっても正義派と俗論派(と後世に呼ばれる)とに藩論は大きく分かれ、奇兵隊による内乱を経て初めて藩論を統一し、四境戦争と長州で呼ばれる第二次長州戦役を乗り越えているが、これとて「長州藩は」という主語で語るほど長州藩内部は一つではなかったのである。
そこで著者は組織的視座ではなく人物の視座を視座と捉え、各人物の行動や思想がお互いにどのように影響し、その結果としての行動がさらに他の人物にどのように影響し、全体としての様相を呈したのかという構成をとろうとしている。
そこにあるのは、欧米列強によって否応にも「世界」に引きずり出された同時代人が、如何に自らのアイデンティティを幕藩体制の中から、列強支配の体制の中に位置づけすることが出来るようになるかという視点である。そういった視点で、幕末に活躍した人物を論じているところに本書の面白さがあるといえる。
そこに共通しているのは、幕藩体制の枠組みを超えた統一国家(つまりNation State)を作り、欧米の「文明」に倣った変革をしなければ、民族の存亡は危ういという危機感であったという。しかし、著者の視点に加わるのは、単に欧米を追いかけるだけではなく、自分たちのやり方(民族の歴史と伝統)に則ったものでなければ、その変革自体が何のために行われるのかがわからなくなってしまうことが、幕末に国体論が異常な破壊力を持ったゆえんであるという解説である。
残念なのは、人物の捉え方は豊に分析されており読んでいて面白いが、米国など列強の行動を「砲艦外交」という言葉だけで捉えている点で、まだ内に閉じているということであろう。例えば、黒船に乗っていたペリーの心理(あるいは左遷されてアジアに派遣されたのかもしれない)などと、ひたすら組織が自分を護ってくれるだろうと信じて行動する幕閣の姿とを対比するなどすれば、さらに面白いかもしれないが、今後に待ちたい。

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