「科学的思考」のレッスン 学校では教えてくれないサイエンス

2017年12月13日読了
科学的思考とかロジカルシンキングとか、便利なツールとしての思考方法を思わせるが、そうではない。一見、科学的に見せかけていて人を騙すエセ科学に人がなぜひかかるかは、結局は科学を知らないからではなく科学的なものの考え方や説明の仕方を体得していないからだ。
前半は科学とは何なのか、絶対的に正しいのではなく、より正しいものを見つけようとするプロセスなり姿勢であり、反証を許さなければならないとする。
後半は原子力発電を巡る安全性が「科学的思考」から見たときにどのように説明されているかを紐解きながら、科学も政治との合わせ鏡であるため、科学者に何でも判断させるのではなく、科学のユーザ(つまり市民)が自ら考えて行動することが必要なのだと説く。安全は科学的な閾値の議論だが、安心とはシステムに対する信頼感を言うので、両者は似て非なるものだ。
言うまでもなく、アインシュタインは相対性原理とともに原子力エネルギーを使えるようにしてしまったときに、随分と悩んだらしい。同じ話はダイナマイトを発明したノーベルも、結局それを平和利用させることができず、ノーベル賞という形で訴えることになったとも言われる。
科学教育が理系人間を増やすかのように言われるが、本来の科学的思考は科学の恩恵をうけざるを得ない現代社会において、科学のアダを被らないためにも、科学を社会的に舵取りするために必要なメタな思考である。ゆえに文系理系や損得の議論にあらず、現代社会に生きる上での基礎教育として必要なのだ。

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