としまえん

豊島区ではなく練馬区にあるのになぜか「豊島園」という名前が付いている。
戦国期には豊嶋氏の居城だったか要塞があったかで知られている場所らしいので、名前の由来はそこからなのか。
この遊園地は、歴史が古く、その分、土地も狭ければアトラクションも古いというハンディを負っている。
しかし、ここの広告は毎年、なんらか洒落が効いているので、楽しみにしている。
昔は、TVCMでアブラゼミがひたすら「ミーミー」と暑苦しく鳴いている姿を映して最後に「としまえん」と出すものや、「狭い、古い、史上最低の遊園地・・・・としまえん」といったキャッチコピーなどがあった。
大江戸線が開通した際には、「構想10年総工費1000億円以上、すごい乗り物がとしまえんにやってきた」だったかな。
さて今年は、ビキニを着たおねんさんたちが大勢で楽しそうにプールに集まっている何の変哲もない写真で少し期待外れ。どこにでもありそうなポスターで、こういうギャルの集まったプールサイドにお父さんたちが集まって子供の世話もしないでおねえさんたちを眺めている間に、子供が迷子になってしまうのは、いかにもありそうな話である。
しかしこのポスターは冷静になってよく見ると、AKB48ならぬTSM48(としま48)というユニットの名前が書いてある。
さらによく見ると、ビキニを着てはしゃいでいるのは、おねえさん?・・・・オネエサン・・・・お姐さん!
数えてみると48人。
げげ!
ということは、TSM48って・・・・としま48って・・・・「としまえん」の本当の意味って・・・・そういうことだったのか!
今年もやってくれた、としまえん。


英語の先生

帰郷した際に、中学高校と英語を習った先生のところも訪ねてみた。
自宅マンションのリビングルームを教室にして80歳を過ぎた今も平日のみ教鞭をとっておられる。
奥様も英語の先生で、昨年、脳内出血で大手術をしたとは思えないくらい後遺症もなくお元気で安心。
手作りのワッフルとソーセージ、コンビーフとジャガイモで作ったハッシュブラウンをご馳走になった。ハッシュブラウンはアメリカに居るとき何度か食べているが、今回のが一番おいしかった。
先生と生徒の関係は何年経っても先生と生徒の関係なので、いつの間にか子供に帰っている自分がいるが、これは「上下関係」ではなく「役割関係」ということだそうだ。
相変わらず教わることが多い。


伊能忠敬

伊能忠敬が日本測量開始して今年で210年らしい。原図自体は消失したとされていたが海外で数年前に発見されてから復元され、全国で御披露目されている。
その方法が、レプリカをマットに印刷して体育館に広げて展示するというもので、実際にその上を歩きながら、日本全図を見ることができる。

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「かくあるべき」から「かくあらまおし」へ

たまたま行動科学という言葉があることを知って、ネットでいろいろ調べていたら、偶然にもSAT療法という言葉に気がついた。
もともとはうつ病患者の自己認知を変えることで病気を治癒することが目的のようだが、広く物事の発想とか生き方にも応用できそうな考えだ。
自分はうつ病ではないが、それに近い状態に陥ったことが何回かあり、その都度、運のよさと周囲の人に恵まれて、うまく脱却してきた。
後になって分かることなのだが、言いようのない不安感と無能力感に支配されているときには、全く冷静な判断能力を失っており生活面でも交通事故に遭いそうになったりと危険な状態なのだが、仕事も全くといっていいほど進まなくなってしまう。なぜかそういう状況だけが強調されて気になってしまい、負の思考スパイラルに陥っていく。
これを脱する方法として以下の実践が必要だ。
1.「今の私は困っている」ということを誰にでも打ち明かすこと。
2.「私はこうしてほしい」ということを話すこと。
3.自己否定感情の裏には愛されたい欲求が潜んでおり、1.2ができないときに自分の中に大いなる矛盾を抱えてしまうことに気がつくこと。
4.自分の遺伝子が持っている自分の性格を受け入れ、他者の評価で自分の価値を決めないこと。
5.宇宙の中の自分と未来の自分をイメージすること。
職場でのカウンセリングにも役立ちそうなので、もう少し勉強して見たくなった。早速アマゾンで注文。


人に言えない悩み

誰の言葉なのかは知らないが、次のようなセリフを聞いたことがある。
「およそ人間の悩みは過去に解決されており、今の悩みはその解決方法に無知なだけか、もともと悩んでも答えのないものである。」
よくよく悩んでみて、人に相談してみると、いとも簡単に解決することがある。まさにそれを言っているのかもしれない。
しかし、「こんなこと誰にも相談できない・・・・」と人に言えないこと自体が悩みであることもある。それも、もしかすると思い込みなのかもしれないが。
自分の思考にはまり込んでしまう(自縛)行為そのものが悩みを生んでいるとすれば、これほどあほらしいことはない。