ローマ人の物語27・28-全ての道はローマに通ず

塩野七海(著)新潮社文庫(2006年)

従来の紀伝体と異なり、ローマ帝国のインフラについて扱っている。道路、水道といったハードウェア、医療、
福祉などのソフトウェアである。

著者は、時代が前後したり地域が飛んだり読みにくいと断っているが、実は直前の「五賢帝時代」よりもよほど楽しく読める独立章である。

ローマが反映した理由はいろいろあるが、
一つはローマ軍が単なる軍人ではなく公共工事に携わる技術者であったという点が著者の主張の嚆矢である。
一般に軍事予算は経済学で言う再生産に繋がらないとされているが、なんのことはない、ローマ帝国では軍人が軍事的輸送(この場合、
兵隊を行軍させるという目的だけでなく情報をすばやく入手するという目的があったことは言及すべきだろう)
を担うために建設したインフラである街道が結果的には人々の交流を盛んにし経済発展に繋がったというものである。

本章の他と異なる点は、カラー写真でローマの街道や水道などの遺跡がいろいろと紹介されている点であろう。読んでいて飽きない。

為政者はインフラ整備をするということをは、日本史を見ても同じである。
大和朝廷は五畿七道と言われる軍用道路を整備し各地に馬の中継点である駅を置いたとされる。それは徳川時代においては、
五街道や宿場町の整備あるいは玉川上水など江戸市中に流れる上水道の整備などによって当時としては世界最大規模の都市を生み出したとされている。
都市が発達して豊かな暮らしができるためには、インフラ整備が重要であるとここで一般化するほど単純な話ではないが、軍事的側面よりも、人、
情報、物資の流通といった側面に対する効果のほうが大きいことだけは明らかであろう。


ローマ人の物語24・25・26-賢帝の世紀(上・中・下)

塩野七海(著)新潮文庫(2006年)

いわゆる五賢帝の時代の話である。トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス

マキアヴェッリの言葉としてリーダに必要な三要素「力量」「幸運」「時代適合性」の三拍子が揃った人たちが続いた時代。

それぞれ時代が流れる中で置かれている背景は異なるものの、やはり時代に適合した治世を行なった人たちゆえ歴史に名を残している。

ローマ帝国とユダヤの関係、ユダヤからキリスト教が派生していく過程は、知らなかったが、まさにこの時代の出来事である。
「ユダヤの神以外を神と信じてはならない」という教義に基づく神を信ずる一神教と、教義を持たぬローマのような国の違いは、
国家が国家として拡大発展していく過程で、他を許容しながら包容していくことの重要さを感じさせる。

最後に箴言を記録しておく。

「感情を抑制するのに、賢者の哲学も皇帝の権力も何の役にも立たないときがある。
そのような時は男であることを思い起こして耐えるしかない。」


ローマ人の物語21・22・23-危機と克服(上・中・下)

塩野七海(著)新潮文庫(2005年)

暴君(と言われる)ネロの自殺から、いわゆる五賢帝のネルヴァまでの時代である。

皇帝と云えども権限は元老院という組織と微妙なバランスによって成り立っており、
またローマ帝国自体がローマ本国と属州国などとのミリタリーバランスによって維持されている、
そういった中での皇帝の存在が実は小さなものであったかもしれないというテーマ。

ベスピオ火山が噴火し、ポンペイの街全体が火山灰に埋まってしまう時代である。この巻末年表は、以前と異なり「同時代の日本」
ではなく「世界」の動きが載ってきている。ようやく東西の交流が始まる頃なのだろうか。


ローマ人の物語17・18・19・20-悪名高き皇帝たち1・2・3・4

塩野七海(著)新潮文庫(2005年)

ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、そして「暴君」という蔑称が付されるネロの時代。アウグスツス以降の「悪名高き」
皇帝時代を客観的なスタンスで著述する。

著者は「皇帝」すなわち一人に権力が集中するという仕組は、大ローマを治めるためには必要な方法であったとする。

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ローマ人の物語14・15・16-パクス・ロマーナ

塩野七海(著)新潮文庫(2004年)

カエサル暗殺後、その遺志によって後継者となったオクタヴィアヌスが、皇帝アウグスツスとなり、帝政ローマを築き上げパクスロマーナ
(ローマによる平和)と呼ばれる時代である。巻末年表に拠れば、紀元前から紀元後に変わるタイミング。
西洋でもようやくキリストが生まれた頃である。

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