痺れ

いざ漢字で書けと言われても直ぐには書けない字の一つだが、よくみると大して難しい字でもない。
老化現象とも言えるが、厄年を過ぎると体のいろいろな所にガタが出てくる。
さておき、先週の金曜日あたりから左手の親指に沿ってピリピリと電気を流しているような感覚があって、放置していたら、火曜日には左足が痺れてきた。
体の片方だけにそういう症状が出ると、真っ先に脳の右側で出血や脈瘤ができているのではとの疑いを持ってしまう。何しろそういう遺伝因子を直系で持っているのは祖母~父親の病歴を見れば明らかだ。
心配になって地元の脳神経外科に初めて行ったら、老人健診の日なのか、いかにも元気そうなおばあちゃんたちが大声でしゃべっていた。こちらは症状は軽いものの、やばい病気なのではないかと心配していることなど意にも介さず、夫と義母を罵って、こんなところに嫁に来るんじゃなかったと叫んでいる。
さて自分の場合、腰椎頚椎の歪みから来る神経圧迫ではないかとの医者の見立てであるが、一応、脳に異状がないことを確かめるために来週CT画像を撮ることになった。こちらとしても病気であることよりも、問題ないことを確かめるところに主眼があったので、検査はしてもらいたいところである。
初期症状から8日目だが、相変わらず手の違和感は残っている。頭が悪いのは仕方がないが、異状があるのは勘弁してもらいたいところだ。
追記―
CT検査をした。
脳には異状がなかったのでほっとした。脳もあったので脳なしでないことが証明された。
しかし、頚椎がずれていることが写真を見ると素人目にも分かった。どうやらこのずれが神経を圧迫して手の痺れになっているようだ。
MRIのある整形外科にいかないと診断は難しいと言われた。
とりあえず急ぎで何か対処しなければならない状態ではないので、しばらく様子を見よう。


物忘れ

物忘れがひどいという人がよく冗談交じりに、「忘れないようにメモをとっても、こんどはそのメモをどこに置いたか分からなくなる」と言う。
他愛もない話だが、ストレスマネジメントの観点からはとてもよいヒントがあることに気がついた。
色々と気になることがある場合に、メモをとって頭からいったん外に出すことで、「気がかり」状態から解放される、つまり、「後回し」にすることができる効果があるのだ。
メモが教えてくれること。その時々では気になっていても後になってみれば実は大したことではないことはいくらでもある。また、客観視することによる冷静さを保つ効果もあるだろう。そして、後でメモを見て忘れてしまったことに気がついたのであれば、まさにそれが実につまらないことであった証拠でもあり、一方でそれによって大事なことを思い出すことができれば、これまた思い出してよかったということにもなる。
私は物事を割り切ることが苦手なので、気懸りが持続することが多い。しかし、最近は結構忘れることができるようになってきて、老化もそれなりにいいことがあるなぁと感じている。
忘れるということは時々思い出すということでもある。完全に忘れてしまえば、思い出すこともないので、忘れたことすら気がつかない。それで世の中が平穏無事に動いているのであれば、まぁいいのではないか・・・。


船酔いの理由が分かった

小さい頃から乗り物酔いがひどかったが、大人になって酔わなくなった。それでも船には酔ってしまうので、釣に行くときには酔い止めを飲んでから乗船する。せっかく早朝から出かけて船で寝ていたのではもったいない。
このたびの地震の連続で、自分が乗り物に酔いやすい理由がよく分かった。
揺れに敏感なんですな。
周囲の人が気が付く前に、「あ、ゆれている」ということがとても多い。
ビルの揺れは地震が収まってもしばらく続くから、気持ち悪くなってくる。


体力の要る花見に疲れた一日

桜が満開ということで、小金井公園に自転車で行ったら人がいっぱいだった。周辺の道路も渋滞していて、この界隈の年中行事の一つになっている。残念ながら市民桜祭りは中止になっていたが、所詮、露店が出ているだけなので、花見客には花が咲いていればいいわけで、却って場所が広く使えていいのかもしれない。
落ち着いて花も見れないので、そのまま自転車を転がして玉川上水を上って行った。いろいろなところに桜が咲いていて、何気なく進んでいるとモノレールが見える。ここは「玉川上水駅」ではないか。ほぼ立川市である。
こうなると桜がある限り見てやろうと考え進んでいき、結局、羽村の取水堰まで来てしまった。
予期せぬことに、羽村の堰は花見の名所らしく、確かに見事な桜が満開で、地元の人が花見を楽しんでいた。こちらとしては花見はそれとして、やはり玉川上水を見ると江戸時代の土木技術のレベルの高さに驚嘆せざるを得ない。
横田基地の傍を走ったが、はやいところ民間機を使えるようにしてほしいと思った。これが整備されないと、羽田と成田だけでは首都圏はあまりに脆弱な航空輸送体制である。
帰路は下りなので比較的楽なはずだが、途中、松屋で牛飯を食って休憩した以外は、ほぼずっと自転車をこいでいたので、さすがに御尻は痛いし足も突っ張ってきた。ハンドルを持っている関係で肩も凝る。
漸く帰宅したら17時丁度で、10時前に自宅を出てから7時間自転車に乗っていたことになる。こういう見境のない行動は止めねばならないが、羽村の堰で「多摩川河口から50km」の表示を見て、なんとなく走ってみたいと思うのは、子供の頃、自転車を飛ばした厚東川の土手を思い出すからなのだろうか。


行列のできる医者

近所に毎朝行列をなしている開業医がある。行列と言っても10人程度だが親子連れが多い。数年前にかの地に開いたのだが、私の通勤時間帯から人が並んでいるので、比較的早く受付を始めるのだろう。
行列のできるといえば繁盛していることにはなるが、私はこの医者には世話になったこともないし世話になろうとも思わない。なぜならヤブ医者だからだ。
寒い中で例えば熱を出した子供が診察を待っているのである。せめて寒いから受付だけでも済ませて中でお待ちくださいと言えないのか。そういった患者への配慮のなさが、特に寒くなってきたこの時期の朝の行列に現れているように思えてならないのだ。