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保阪 正康 著
本書は先般、松山に所要で出かけた際に大街道入り口にあった明屋書店に立ち寄った際に見出したものである。折しも広島原爆忌の前日であり、前日は坂の上の雲ミュージアムにて明治の理想国家建設の一端を見てきたばかりだったので、その末期症状とも言える大東亜戦争とその中での象徴的事象でもある大本営発表という文字が眼に入ったのだろう。
大本営発表の始まりは、昭和16年12月8日の海軍による真珠湾攻撃と、陸軍による東南アジア進出、つまり大東亜戦争の開戦を告げる国の公式発表だった。
当初は客観的に事実を告げる内容だったものが、戦局の悪化に伴い内容を糊塗するようになり、次第に自らを欺くまでになっていく。
今日では組織の上層部が発表する「大風呂敷」とか行政が発する「住民のために・・・」といったメッセージに実態が伴わないことを大本営発表と揶揄することがある。流行り言葉で言えばフェイクニュースだ。
著者の研究では、陸軍参謀本部と海軍軍令部との権力闘争、幹部の責任逃れ体質、国民受けを狙ったメディアなどの要素が絡み合って、大本営発表という大きな虚構が成立したという。
そこには国民を思考停止状態に陥れる以下のような枠組みがある。
1.教育の国家統制
2.情報発信の一元化
3.暴力装置の発動
4.弾圧立法の徹底
これに抵抗しあるいは抜け出そうとするものは、
5.共同体からの放逐
6.生活圏の収奪
という報復を受ける。
こういった仕組み(これは意図してつくったと言うよりはある意思がこのような形になってしまったと言うべきだが)がある国や地域は21世紀のいまでも存在するので、日本の教訓は世界史レベルでは活かされていないというべきだが、そもそも日本でも1〜6に近い状態やあえてそれを求めようとする動きをする者や政党もいないわけではない。
もともと東亜の解放を名目に開戦した日本だが、本来の大戦略(つまり軍事を超えた政治的な目標到達地点)を持たないまま戦争に入ってしまったため、軍部は勝つことだけが目標となってしまい、戦略的に負けたり引いたりすることもできなくなったという面もある。そこは政治の責任であり選挙民の責任でもあるが、ともかくも良識が通らない組織というものの恐ろしさを歴史から学んでおくことは、歴史を繰り返さないためにも肝要である。