武蔵野台地の水

「武蔵野台地の水」というテーマで放送大学の対面講義があったので聴講に応募してみたら許可された。
11月1日(日)と11月7日(土)の二回に分けて、玉川上水をテーマとして武蔵野台地を知ることを主題としている。

初日は午前中のレクチャにて、地質学、鉱物学、民俗学のそれぞれの立場から若手の先生が講義。本を読んでいたので大筋は理解できているつもりだが、特に大地のでき方に関する議論や、活断層と言われる立川断層に関する内容は興味深かった。

午後は実際に現地に行って「水の流れ」を見ながら武蔵野台地を知る。
まずは、玉川上水駅のやや下流にある「小平監視所」。
ここは、羽村取水堰から流れてくる水をゴミをとり沈砂させてポンプで東村山浄水場に送っている。
つまり、玉川上水はかつての江戸を潤していた上水ではなく、多摩川の水はここで終わっている。
ここから流れる玉川上水の水は、下水などを高度処理してきれいにした水を下流に流しているので、実は玉川上水は上流と下流とがここで切れている。

監視所から上流に向かっていくと、XXX橋付近で上水が南側に湾曲する。ここは立川断層があり東側が高くなっている場所なので、そこを掘り下げることなく南の低い方へ迂回させている場所で、全体として立川断層が走っていることを実感する。
さらに日産村山工場の跡地付近まで行き、「坂道」を体感する。

現地に行って専門家の話を聞くと、建物の立ち方なども違った目で見える。

玉川上水では、永年浄水を保つために船を通したり水を脇に取る事は禁止されていたが、幕末になってくると新田開発などにより豪農が出てくることで、上水から農業用水を取水するということも行われるようになった。明治に入ってくると、多摩川から船を使って貨物を運ぶことも始まったとする解説は、最近の研究が反映されているとのことで、興味深い。

次回は取水堰のある羽村の探索だ。

(11月7日更新)

今日は、福生駅から河成段丘(もはや河岸段丘とは言わないそうだ)を経て玉川上水から多摩川までの傾斜をまずは体感。
それから川沿い東側を上流に向かう(これを河の左岸という。つまり流れに沿って右岸、左岸)。羽村取水堰の直ぐ前の端を対岸に渡って、羽村郷土資料館へ向かい、現在開催中の特別展を観覧。館長さんの独自の理論による解説もまた楽しい。

特に、玉川兄弟の出自は明らかではなく、記録がないことや、実際は兄弟ではないのではという説、さらには地元の人というが実はどこかから来た技術者ではないかという話があった。
また、当時の測量技術は今の技術と道具が異なるだけで、理論としては同じことをやっている、古い時代は学問的に未熟と思っていることが多いが、決してそんなことはなく、道具が進化していないだけだというのも一理あるか。

昼食をとってから、取水堰直ぐ傍の公園に集合して水質検査。その後、上水を下っていきながら、上水の水面から多摩川の水面がどんどん下がっていく様子(逆に見れば、上水があたかも段丘を登って言っているようにも見える)を体感。

行き着く先は上水端の田村酒造。嘉泉という酒を造っている。営業の橋本さんに蔵の中や玉川上水の敷地内取水などを案内していただき、作りたての生酒を試飲(もちろん購入も)。

現地で解散し、帰路へ向かう。