久しぶりの池袋演芸場

連休ということもあって、池袋のジュンク堂に遊びに行った。
本来は友人T君に義理を立てて紀伊國屋書店で買わねばならないのだが、最寄り駅の関係でいつも許していただいている(と勝手に思っている)。
適当に3冊本を買い、吉野家で牛丼を食って、池袋演芸場にふらりと入る。
夜の部は1645開演2030閉幕で間10分の中入り以外はずっと笑っていた。
トリは桂平治の「八五郎出世」というお噺。三遊亭圓生が得意とした噺で、全体はお笑いなのだが大名の前で兄の八五郎が妹のお鶴を見て、苦労をねぎらい、老母を案ずるなという場面は泣かせる。
久しぶりに腹の底から笑い涙を流したので、座っているだけでも疲れてしまった。


びんぼう自慢

古今亭志ん生(著)ちくま文庫(2005年)

脳梗塞から復活して再び忙しくなった頃に取材したものらしい。

つい先日「なめくじ艦隊」を読んだばかりで、半分くらいは同じ内容の話だった。
でも取材者も違っているし独自の取材によるものだと思う。

落語家の話はどういうわけか、何度同じ話を聞いても可笑しいところは笑ってしまう。
それは話を聞けばなおさらだが文章で読んでも同じように可笑しいところは可笑しい。

編集者は取材テープは一切公開しないという。でも実際に音声で聞けば、間合いの取り方などさらに面白いのではないか。

大落語家の影に良妻あり。


なめくじ艦隊-志ん生半生記

古今亭志ん生(著)ちくま文庫(1991/12)

志ん生のまくら話を寄せ集めたものと思われるが、いわゆる古典落語の話の解説書ではなく、
名人の名人たるゆえんを感じさせる志ん生の苦労貧乏物語。タイトルのなめくじ艦隊も、
関東大震災の後に業平に住んでいたころに家の中をナメクジが連合艦隊のように壁を伝っている様子から来たものらしい。

理屈抜きで「生きていること」を愉しんでいる様子が話の中からじわじわと伝わってくるだけでなく、
落語が単なる話芸ではなく生い立ちを反映した人格そのものになっていることを頷かせる話ばかり。

特に満州での引き上げまでの話は、運命に翻弄されつつも人の恩義を忘れず敗戦でも誇りを持って生きる日本人としての強さ、
清々しさを感じさせる。

最後に記憶しておきたいこととして、次を残しておこう。

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落語に学ぶ話し方と名文句

野口卓(著)春風亭清朝(監)日本実業出版社(2005年12月)

よく知られた落語の話をオチではなく一番聞き所になるセリフを中心に解説したもの。

落語の本はいろいろ読んだけれど、このアプローチは変わっている。3ページくらいに亘って話の流れが解説してあり、「聞き所」の位置づけを知るにはよい。こういう本を読むと、一番大事なところを見たり聞いたりするだけでは、ちっとも面白くないということもわかる。

実際、「ここがポイント」として解説はしてあるが、なぜかつまらない。やはり、マクラから始まって最後に落ちるまで、一連の流れの中で話を聞くべきであるということを諭しているのか。それとも、落語の話ははじめからわかっているので、それをどうやって「演ずるか」を愉しむのが落語なのだと教えようとしているのか。

情報化社会になって、「あらすじで分かる・・・」「三日で理解する・・・」といった、何でも「要約」されたものが入手できるようになってきているが、物事の因果を含めて理解するには、自分で要約することが大切なんで、「そういうものだ」と理解するまでがもっとも面白いんじゃないか。

やはり落語は寄席で聞くもんだと思う。しばらく行ってないなぁ・・・