フォン・ノイマンの哲学

フォン・ノイマンの哲学

ノイマンといえば、現代のコンピュータの基本原理「ノイマン型コンピュータ」をアメリカで開発した人物として知られるが、日本との関わりでは原爆製造で必要な計算を速めたという意味では複雑な感情を抱く人もいるだろう。

本書は、ノイマンの一生を誕生の経緯から幼少時の天才ぶり、第二次大戦時のユダヤ人としての運命と米国に渡った経緯、などなど彼の生涯をとても興味深く描いている。伝記として読んでも面白い。

しかし副題に「人間のふりをした悪魔」とあるように著者は非常にネガティブな感情を抱いているようだ。その辺りを踏まえつつ読み進めていったが、天才ぶりはよく伝わってきたが悪魔としてのノイマンはわずかな記述で触れているに過ぎない。

「科学優先主義、非人道主義、虚無主義」が彼の根底の考え方だと断定p175しているが、「我々がいま作っているのは怪物で・・・科学者として科学的に可能だとわかっていることはやり遂げなければならない」と妻の前で話したことや、ロスアラモスで非人道的兵器の開発に苛むファインマンに対し「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と語ったという、それだけの事実をもって、彼の哲学を論じようとしているところにはかなり無理があろう。

むしろ、人間としての苦悩も、生きるための妥協もあったはずで、そのようなコンテキストの中で彼の発言を捉えるほうが、人物をより浮き彫りできたのではないか。
読後感として、著者は本来ノイマンという人物に好感をもっており、むしろ無理やりノイマンを「悪魔」に仕立て上げなければならない事情でもあったのかと邪推してしまうくらい、取ってつけたような位置づけなのだ。



不屈の棋士

不屈の棋士 (講談社現代新書)
大川 慎太郎
講談社

2016年10月1日読了

コンピュータの能力が人間を超えるという意味合いを象徴することの一つに、囲碁や将棋におけるプロとコンピュータとの対局が取り上げられる。

本書はコンピュータにほぼ凌駕されている将棋の世界において、プロ棋士たちに率直に、1使っているか、2どのような使い方をしているか、3公式の対局に出る意思はあるか、4勝ち負けやレーティングについてどう考えるか、5コンピュータが強くなってしまった時のプロ棋士としての存在意義は、ということを問うているインタビュで構成される。

囲碁にしても将棋にしても、究極的には勝負によって強い弱いが決まるので、ゲームとして考えればゲーム自体の解(つまり最善手が続いても必ず勝敗が決まる究極の答え)が明かされているわけではない。人間は学習と研鑽と勝負という形においてその域に達しようとし、コンピュータの開発者は計算能力とアルゴリズムによってそれを達成しようとする。求めているところは同じでも方法論が異なるわけで、そこにおいてどちらに優劣があるというものではない。そこをあえて人間対コンピュータという枠組みを作って勝敗を競うという方法に何の意味があるのかを問おうとしているのが、この本の面白いところである。

著者は将棋の対戦記者でもあり日頃から付き合いのある棋士でもあるため、こういう取材ができたのだろう。

昨今、「人工知能によって奪われる仕事」というやや煽情的な雑誌記事などが紹介されることがある。しかし、囲碁・将棋の例を持ち出すこともなく、効率性や経済性においてコンピュータを使うことが便利であればそれは使ってしかるべきだし、人力車が職業として残るべきだと考える必要もない。むしろ、過度な期待を抱いてすべてが人工知能によって実現されるという妄想を抱くほうが危険なのではないか。なぜなら、人工知能に限らず技術は単に今の社会枠組みの中にある機能や行為を置き換えるのではなく、枠組みそのものを変えてしまうのだから。