同窓会

故郷の宇部高校の同窓会に初めて出席した。
これまで、同窓会なんて・・・と思っていたのは正直なところだが、東京でも同じ同窓会があり、昨年と今年出席した。しかし、幹事年ということで裏方仕事をしていた関係から、同窓会自体は楽しめなかった。
故郷での同窓会は、一参加者であったため、旧友にも会えたしゆっくりと話をすることができた。

30年以上の歳月は人を変える。それはそれとして。

中学校で離れた高校は別になった友人にも会えて、人生いろいろあるということも感じたが、みな前向きに生きていることが分かり、自分の元気のなさを反省した。

ついでに街中も散策してみたが、銀天街はシャッター通りとなりかつてのにぎわいは失われていた。
これは、ノスタルジーで解決する問題ではなく、時の流れによる社会の変化に対応できなかった結果がそこにあると考え、謙虚に対応すべき問題なのだろう。
渡辺翁記念会館も使用禁止になっており、今後の行く末が心配になる。
かつて石炭で栄え、化学工業への転換を果たした町は、宇部興産の企業城下町となったが一社が町全体を支える時代でもない。
一方で、かつて田んぼであったところは住宅地になり老人向けの施設が建っていたり、ショッピングモールができていたりと、様相が変わっている。なので衰退しているわけではない。
同じ問題を抱える都市は全国にたくさんあるだろう。新たな街モデルを考えなければならない時代になっているが、宇部市はオリジナルな発想ができるというのが市民の誇りでもあった。
新たな街づくりに少しは自分も貢献できることがあるのではないかと考えてみたいし、上京してからも何らかのかかわりを持ちたいと思ってきたのも事実だ。いつかは戻れるというのがこの30年間の心の支えであったことは大いなる事実なのだから。


何々力

中国人の名前でも往年のプロレスラーでもない。
最近、よく使われる、「XX力」というのが何をさしているのかよく分からないのだ。
五木寛之が「老人力」という書物で、年老いていくこと自体が悪いことではなく体力や知力の衰えも考えようによっては細かいことにこだわらずに生きていくための必要な摂理であるというような概念で紹介された。鈍感力というのも近いのだろう。

人間とかチームなどを主体と捉えて、その主体が有する機能や役割に対するパフォーマンスを指しているようなのだ。
代表的なのは、

女子力
仕事ができてなおも女性としての魅力を失わないし周辺の人からも支持され憧れの対象となる女性。男性力という言い方はされないので、最近の風潮の変化で新しい社会的存在になりつつある「女性」という捉えかたをした場合の、新しい「何か」をさしていそうだ。

現場力
会社のチームや組織で実際に業務が行われている場所におけるパフォーマンスが高い場合、現場力が高いといわれるが、得てして低い場合に、「あのチームは現場力が低い」という形で使われる。

人間力
「人間力がない」という言い方は耳にしない。あまりにひどい表現なのだろう。しかし人間力があるとはどういうことなのか。

パフォーマンスを的確に説明する言葉がないときに、あたかもイメージとして「なんとか力」という形で賞賛するのはまだよいが、逆に「なんとか力がない」という意味で使われるときは、それを言っている人自体の物事の捉え方の稚拙さが伝わってしまうようで、自分にはなんとも違和感のある用語なのだ。


座ってきました

今回は少し遅れて出発したので、研修所に到着したのがぎりぎりでしたが、遅刻せずには座れました。

疲れていたのか、傾眠状態に入った時にどなたかが警策を受けて「パシッ」という音で我に返りました。
そんなわけで、自分も警策をお願いしましたが、前回とは音が違いました。どうやら「パン」という音と「パシッ」という音の二種類あるようです。

相変わらず足がしびれます。


水道が壊れた

築20年を迎えようとしているマンションだが、先日は給湯器が壊れたが、今度は台所の水道が漏れるようになった。
蛇口がポタポタならパッキンを取り替えるのだが、本体のつなぎ目から漏れているようだ。
また取り替えである。


働き方について

多分厄年の頃だったと思う。桜を観ていてふと「あと何回視られるだろうか」と漠然と感じた。ただそれだけなのだが、少しずつ体力や身体能力(記憶力、言語力、視力、脚力など)が落ちていき、自分を高めるエレルギー値が下がっていっていることを感じている。
これに伴って、いつまで今のような仕事のしかたを続けることは出来ない、いずれ限界が来ると悟らざるを得なくなった。
拍車をかけたのが、2011年3月11日だ。目の前の困っている人に対して所詮、何も出来ない仕事なのだと思った。

そう考えると、たとえば60歳までに(続けられれば)いまの会社で勤めて、その後に、次の仕事を送ると考えるのか、それとも上り調子のピークが50歳として、ゆっくりと下ること(たとえば70歳過ぎくらいまで)を前提とした別の仕事の仕方を選択したらよいのか、逡巡してしまう。もはや、同じ会社で定年まで勤めることを是とする時代ではないが、自分たちはそういう価値観になる前に社会にでてきた最後の世代でもあり、わかっていつつもあまり準備をしてこなかった。悔やむわけでも焦るわけでもなく、ただ考えたことがないので若干の戸惑いがあるというのが正直なところだ。

あらためて周囲を見れば様々な理由で転職をしたり、あるいはそろそろ会社が事実上50歳で定年なのでと準備している同世代の友人も増えてきたに気がつく。また諸先輩方には沢山のモデルがあることも見えてきた。

それはいつなのか、次は東京なのか故郷なのかそれとも全く違う場所なのか、会計士業を続けるのか、続けないとすれば何ができるのか、などなど考えだすとキリがないので、自分の周りにいる人の話に耳を傾けている。

そもそも今の姿すらほんの数年前には想像すらしていなかったので、風まかせの成り行きも一つの選択ではないかと思うこともある。

かつてはこういうことを考えることに、今の仕事に真剣さが足りないと思われるのではといった他人を意識した罪悪感があった。
もしも自分にこの仕事を勧めた亡き伯父と話をしたら「つべこべ言わずに今を一所懸命に働け」というだろうか。それとも「そういう歳になったかのぅ」というだろうか。