先日、宇部市の松巌園を訪ねた際、離れに渡邉祐策さんのご愛用品の一つ松陰先生の士規七則の扁額を拝見しました。
右肩上がりのやや扁平な文字は松陰先生の筆勢そのままですが、黒地に白抜きの拓本のようにも見えたので、私にはそのルーツが気になりました。
士規七則は、松陰先生が下田でペリーに乗船を拒否され江戸に送られた後、さらに萩の野山獄に移された際、獄中から従弟玉木彦介の元服に当たってお祝いに贈った言葉です。
広瀬豊「吉田松陰の士規七則」(昭和14年)によれば、肉筆で残っているのは三種類(東京の大谷家、萩松陰神社、萩郊外の藤井家に保存されているもの)ある他、元々松下村塾に掲げられていたものを門人が木版刷りにして頒布したとされるものがあるそうです。
乃木将軍も木版刷りを持っておられたということで、松巌園の扁額もおそらくこの木版刷の一つではないかと考えられます。
随分とご無沙汰しておりますが、世田谷松陰神社と赤坂乃木神社にお詣りしたときにでも詳細を尋ねてみることにしましょう。