〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊――日米兵士が見た太平洋戦争


俘虜となることを不名誉とし玉砕することを教育した日本の軍隊と、投降して俘虜になることは戦死につぐ名誉と教えた米国の軍隊の比較を、主として前線で戦った軍人へのインタビュを中心に、その行為にいたる心理状態がどのように形成されたかを研究した学術論文である。

玉砕と投降を分けたもの。それはルールの教育成果ではなく、各兵士が所属した部隊という集団を支配するインフォーマルな規範であった。

日露戦争の頃までは投降して俘虜になることは必ずしも不名誉なことではなく、大東亜戦線が始まる際に作られた「戦陣訓」に俘虜を不名誉とする考え方が織り込まれ「公式な規範」となった。個人レベルには明治期から俘虜になることを不名誉とする考え方はあったが、それが次第に社会規範となり戦陣訓で公式規範となったのは、日本がジュネーブ条約に加わらなかったこととも関係している。俘虜になることの禁止は兵士を攻撃に駆り立てるための手段であった。
さらに戦闘回避の禁止、そして違反行為に対する厳罰化により、強制力を持つようになる。
しかし戦場を実際に支配したのはそれらのルールではなく、部隊の仲間同士の相互監視や制裁行為であった。
他方、投降を決意させたのも、食料弾薬不足などに加えて、やはり投降を支持する仲間や上官の存在であった。
すなわち、「第一次集団の絆」という戦友同士の連帯感が、玉砕することも反対に投降することも支配していたという。
これは、日本軍人がいったん俘虜になると、反対に利敵行為となる情報提供を積極的に行うという点にも現れる。

日本の軍隊が、農村社会における封建的な思想から外れ、一旦入隊すれば二等兵から始まる全く新しい「平等」社会を形成していたことも、特有の組織文化(例えば員数主義など)を生み、一般社会と逆転する道徳を生んだとも言う。

そして軍隊組織としての有効性を高めるために、人権の制限など一定の官僚的扱いが必要になるが、その「程度」こそが、各国の軍隊の置かれる文化的社会的文脈に依存して異なってくるというのが、筆者の研究成果である。

本書は軍隊という組織を論じているが、組織論の立場から見れば一つの壮大な社会実験結果に対する解釈とも言える。企業組織における「いい会社、悪い会社」というのも同様の論理が存在しているとすれば、傍から見て「ブラック企業」に勤める者が必ずしも経済的事情だけでそこに留まっているわけではないということに考えを巡らせる必要が有ることを示唆していないか。

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