ローマ人の物語1・2–ローマは一日にして成らず(上)(下)

塩野七海(著)新潮文庫(2002年)

昨年「史記」を読んで以来、歴史の本を改めて読んでみたいと思うようになった。やはり、経営書のようなハウツー本ではなく、実際に人が生きた記録を読むほうが含蓄があり、自由な発想が出来るようだ。

なぜローマなのか。自分の興味分野が「組織の失敗」であり、ローマ史にはやはり国家という組織の興亡があらわれていること、国家の歴史は最大の組織の成功と失敗のケースとして考えることが出来る、もっともよいケースと考えられるからである。

第一話は、伝承によるローマの成立(日本で言うと天孫降臨に相当する)から半島統一までの500年間を扱っている。この時代は日本が弥生に入るかどうかという頃までであり、ローマの歴史の長さや重さを感じずにはいられない。一方、日本のように国家の起源が神話として存在していることも、一つの歴史的事実として好意的に捉えねばならない。

さて、古代ローマは多神教の世界だったらしい。

一神教(ユダヤとかキリスト)では、その教義以外の教えを認めない(すなわちそれ自体が真実であるとする)が、多神教では神が遍在するから、他者にたいして寛容になる。一番大きな違いは、一神教では人はそこに生き方や価値観を求めるが、多神教はただ「救い」を求めるだけであるという記述。多神教世界では宗教の代わりに哲学が生き方を示すことになる。確かに、仏僧(例えば禅導師)が説教することはあっても、神社の神様が生き方を教えてくれるという発想は我々日本人にはない。

筆者はローマが強国になっていった理由として、オープン性を掲げている。これは多神教であることと密接に関わりがあるが、政治システムにおいても少数の賢人が意思決定に関わることで、特定の人物のリーダシップに依存しないことから、戦争でリーダが死亡しても「システム」によって国家を維持できたところ、そして外部からの知の流入を積極的に進めたというよりも結果的にオープン性がそれを招いたということだ。

また、政治システムも「民主主義」とか「博愛、平和、平等」といった教条的なものではなく、あくまでローマ人たちの生き方をベースとした国家戦略(と呼ぶべきかどうか?)を持ちつつ現実に柔軟に対処していったローマの人々を描いている点が、興味深く読めるところである。

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