経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く

2019年1月9日読了
秋丸機関は日米開戦にあたって経済的な観点からのシミュレーションから、日米の格差とは言えないレベルの経済力格差を指摘した機関として知られるが、その資料は終戦直後に他の軍事機密資料とともに焼却されたとして、真相が必ずしも明らかになっていなかった。
しかし数年前に古書店からそれが発掘され他の資料等も入手できたことから、改めて当時の軍部や政治の判断を分析したもの。
一般には、経済力の差は認識しつつも軍部の圧力により無理やり開戦が決まったという流れで理解されていたり、山本七平の「空気の研究」で言うようにその場の雰囲気で何となく開戦が決まったとされている。

当時の日本は、アメリカにより資金凍結がされ石油の禁輸措置がとられていたことから、そのままでは数年も経ないうちに国力を失うジリ貧シナリオを持っていた。しかし、著者の発掘した秋丸機関の資料には、日本が開戦するにあたっては石油資源が不足し、南方からの海上輸送に頼るにしても船舶数がいずれ不足し、ドイツが英国に勝利してソ連を攻撃せず大西洋を実効支配することでアメリカを不利に向かわせるなどのかなり無理なベストシナリオを経ない限りは、致命的な敗北を喫する(ドカ貧)という極めて当たり前の点を指摘していた。

さらにこの理解は、軍事機密的な内容ではなく当時の日本では広く理解されていたことであり、なにゆえ開戦に踏み切ることになったのかという点について、行動経済学の「プロスペクト理論」を持ち出す。この理論は、高い確率で失敗することがあっても、ごく低い確率で成功する想定がある場合、人間は合理的に判断せず期待を込めた判断をしてしまうという。よく起こることを過小評価し、滅多に起こらないことを過大評価するとも言える。
さらに社会心理学的な観点から、集団的な意思決定においては個人の意思決定よりもより極端な方向に結論が持っていかれる「集団極化」という状況が発生し、特にリスクを取る場合には、より高いリスクを選考する「リスキーシフト」という状況に入ってしまうという。
合理的に判断すれば開戦は無謀であったにもかかわらず、戦争終末の見通しもないまま、それゆえに開戦に踏み切ってしまった。

ではどのように考えればよかったのか。
「今戦わず三年後でもアメリカと勝負が出来る国力と戦力を日本が保持できる」ポジティブなプランがあれば、開戦回避という選択肢になったのではないかという。経済機関としては、戦争反対の根拠を示すにとどまらず、その対案としてのポジティブシナリオを策定することができたはずだった。

経済学者という立場から、開戦の意思決定を議論するという事自体が異例なことではあるが、反対に経済学者として意思決定にどのように貢献できるのかということを真剣に考えた上での研究であることが読み取れる。

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