純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落

純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落
井上 智洋
日本経済新聞出版社

2019年9月12日読了

分厚い本だが、殆どが歴史や文明あるいは産業の発展に関する一般論で、筆者の「純粋機械化経済」については第七章を読めば良い。
AIがAIを開発していくのが(ありえない)シンギュラリティの世界だが、純粋機械化経済とは機械が機械を生み出し、人間はその研究開発に関わるだけのため労働力を不要とするという、噴飯物の論理である。

実にこの論理の大きな問題は、筆者自身が前章までに論じている、経済成長に伴って一人あたり所得が一時的に増えても、人口の増加によって元に戻ってしまうというところの解釈のしかたにある。長期的な歴史を見た場合に、経済学では一人あたり所得とはどのような意味を持っているのだろうか。たとえば名目所得がどうあれ、実質所得がどうあれ、平均的な稼ぎで購入しうる財貨が増えることが所得の増加だと考えられるが、筆者はその点に触れていない。

その上に、純粋機械化経済により生産力が生産力を生む(この点は、全てではないにせよ該当する部分はあるのは同意できる)ということについて、なぜ限界労働力が必要ないのかという点については、同一物の生産活動に係る労働力が必要ないという話によって、新しい技術や生産方式が増えることによって新たに必要となる労働力を忘れてしまったかのような議論だ。

最後には国家の役割として、純粋機械化経済における国家の機能がどのように変わるのかという点についてはほとんど触れられておらず、ベーシックインカムを保障すべきという論理展開になっているが、経済学者ならその前提たる国の財政とか徴税のありかたとかを議論してほしかった。

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