出雲と大和――古代国家の原像をたずねて


奈良の三輪山は山自体がご神体として崇拝され社殿や神宝を持たない。しかし祀られているのは大物主神であり出雲の神様である。奈良は大和朝廷の本拠地であり、皇室そして伊勢神宮に繋がるはずだが、国譲りしたはずの出雲の神がなぜ大和に祀られたままなのか。
8世紀初めに出雲国造が大和に出て奏上した祝詞がなにゆえ出雲の神々の貢置なのか。もともと出雲の神々がそこにいて祀られていたからこそ、それが意味を持つと考えるべきではないか。
魏志倭人伝に出てくる卑弥呼について日本書紀、古事記にまったく記述がないのはなぜか。それは大和朝廷と卑弥呼とが全く無縁だったことによると推定できる。
以上三点の仮説から、邪馬台国は出雲勢力のクニであるというのが、著者の推理である。
その他、全国に残る磐座信仰は鉄の産地が多いことから出雲の銑鉄技術が流布された場所であるという。この点については、荒神谷遺跡で見つかった大量の銅剣が、鉄剣ではなかった点についてしっかりとした論証が必要と思われる。
史蹟等から発見される数少ない物証から当時の世界を推理するという楽しみを前面に出した著述であった。

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