寺田寅彦が物理学者であったことなど、これを読むまでつゆ知らず、タイトルが偶々目に入って購入したもの。
寺田は関東大震災、東京大空襲、三陸地震の時代に生きた人ゆえ、その時に記述された日本の災害等に関する論考が抜き出されて本書を構成している。さらにその編者が、あの失敗学の畑村洋太郎というところも、災害リスク管理という観点から本書を面白くさせている。
畑村の解説にもあるが、災害の記述において物理学者らしく感情論を排除して淡々と記されており、今でも通ずるものが多くある。
中でも、災害は発生した直後はいろいろとその経験を活かせるが、時代が変わり人が代わっていくにつれ、結局忘れ去られてしまうという話が、三陸地震の際に、さらにその前の時代にあった津波到達場所に立っている石碑が無造作に置かれていることを取り上げながら論じている点は、東日本大震災にとっても教訓となろう。
科学の発展によって人類は自然を相手にコントロールできるものとの思いが強くなり、堤防によって津波をこらえ切れると考えたり、あるいは原子力発電は安全であるということを強調しすぎて、当事者が安全であることを前提とした業務を展開しているという畑村の指摘も、傾聴せねばならない。
後書きで畑村が指摘していることとして、事故から教訓を得て再発を防止するには、責任追及というスタンスではなく原因究明というスタンスで臨むことが必要であるということは、企業不正などにも言えることだろう。
もう一つの指摘として、マニュアル等の外部基準に対する限界について、想定外の事象の発生にはマニュアルでの対応はできないと明確に指摘している。むしろ、自分で判断することの大切さと、想定外事象が発生した時の自分で判断できるよりどころ「内部基準」をもつことを勧めている。これは、リスクを知ることから始まり、どうすれば安全になるかということではなく、どこに危険が潜んでいるかということを察知できるようになることによって活かされる。
さて監査リスクを監査基準で抑えることはできるのだろうか。
