フォン・ノイマンの哲学

フォン・ノイマンの哲学

ノイマンといえば、現代のコンピュータの基本原理「ノイマン型コンピュータ」をアメリカで開発した人物として知られるが、日本との関わりでは原爆製造で必要な計算を速めたという意味では複雑な感情を抱く人もいるだろう。

本書は、ノイマンの一生を誕生の経緯から幼少時の天才ぶり、第二次大戦時のユダヤ人としての運命と米国に渡った経緯、などなど彼の生涯をとても興味深く描いている。伝記として読んでも面白い。

しかし副題に「人間のふりをした悪魔」とあるように著者は非常にネガティブな感情を抱いているようだ。その辺りを踏まえつつ読み進めていったが、天才ぶりはよく伝わってきたが悪魔としてのノイマンはわずかな記述で触れているに過ぎない。

「科学優先主義、非人道主義、虚無主義」が彼の根底の考え方だと断定p175しているが、「我々がいま作っているのは怪物で・・・科学者として科学的に可能だとわかっていることはやり遂げなければならない」と妻の前で話したことや、ロスアラモスで非人道的兵器の開発に苛むファインマンに対し「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と語ったという、それだけの事実をもって、彼の哲学を論じようとしているところにはかなり無理があろう。

むしろ、人間としての苦悩も、生きるための妥協もあったはずで、そのようなコンテキストの中で彼の発言を捉えるほうが、人物をより浮き彫りできたのではないか。
読後感として、著者は本来ノイマンという人物に好感をもっており、むしろ無理やりノイマンを「悪魔」に仕立て上げなければならない事情でもあったのかと邪推してしまうくらい、取ってつけたような位置づけなのだ。

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