陸軍良識派の研究―見落とされた昭和人物伝


歴史において良識を語ることはとても困難である。後世の価値観で当時の行為を賛美しても非難しても所詮はその時代における判断や行為ではなく、後世の価値観を「良識」としたものにならざるをえないことがわかっている。
まして平時ではなく戦時、また平民ではなく軍人を対象としてそれを論じようとする著者の姿勢に興味があった。
ひとたび戦争になれば、戦場に立たねばならないという宿命を持つ軍人は、国家と個人、生と死という相対する語を自中にかかえて、その折衷点を自らで発見しなければならないという苦悩を持つ。この苦悩を味わった軍人を良識派と称す。
良識派として紹介されるのは、

  • 石原莞爾
  • 武藤章
  • 今村均
  • 渡辺錠太郎
  • 下村定
  • 河辺虎四郎
  • 宮崎繁三郎
  • 辰巳栄一
  • 石井秋穂
  • 堀栄三

である。
今村については自伝もあり、また別書「責任」によってかなりその人物像が知られるが、戦陣訓の起草者であるとは知らなかった。戦陣訓も日本軍の戦場における狂人的行動を助長したとして後世批判されているが、今村が起草した経緯やその内容についての反省などにも触れられており、後世知られる今村のイメージを形作ったのもまた戦陣訓だったかもしれない。
石井秋穂は宇部市の出身であるが、こういう人が自分の故郷にひっそりと生活していることなど知る由もなかった。
それぞれ組織人としての苦悩と対応が描かれているが、こういった人材の思いを汲み取れない組織の問題についてさらに研究を進めれば、日本の会社組織の弱さとして捉えるなどの応用もできるのではないか。
最後に、ガダルカナルの一木支隊、そして吉田茂についての論評に続く。
生き残ったものが感情論で「命は何よりも大事である」あるいは軍隊や戦争という言葉だけで悪と決めつけてしまうような姿勢や考え方に、著者は嫌悪感を抱くのである。その言葉によってそれ以上の議論をさせない姿勢にあるのはまさに思考停止ではないか。
著者は戦争経験者が戦争に嫌悪感を抱くことを肯定しつつも、なぜ戦争が起こったのかということを客観視せず絶対的正義感の誤解に立ち感情論のみで次世代に嫌悪だけで戦争を語ることを、傲慢で次世代を愚弄しているという。次世代を感情の捌け口とし歴史を客観的に検証する能力を奪っているからだ。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.