https://www.shogakukan.co.jp/books/09825401
辻政信とは陸軍の参謀で、貧しい生い立ちからのし上がった経歴や、開戦時の南下作戦を成功させシンガポール陥落に大きな貢献があったことなどから、評価される一方で、ノモンハン事件での独断先行やシンガポールの華人虐殺事件の首謀者として、あるいは戦後の戦犯追及から逃れるために「潜行三千里」にある逃避行をした人物として酷評されるという二面性を持つ。
どちらかというと嫌われている方の軍人であろう。
本書は、若手の記者前田啓介による新しい評論であり、これまでのインタビュを中心とした人物伝に加え公表された外務省外交文書なども参考に、新たな視点で辻政信を論じている。
著者は謙虚に「辻政信という人間が何者であったのか、最後までつかみきることができなかった」と述べているが、軍人としても一人の人物としても好悪がはっきりと分かれている人物であることは間違いないようだ。
「あえて褒めもせず、けなしもない。辻に会った人の証言になるべく忠実に、そして、資料をもとに淡々と辻を書ききった」と後書きしているが、そこには歴史上の人物が後世の価値観によっていくらでも書き換えられることを暗に諭している。
得てして軍人の場合は、「負け戦」の責任を負わされて悪評を得るが、戦争の責任は一個人に帰せるものではなく、かりに辻の例においても独断独走ということができる組織の問題を抜きに語るべきではない。
本書はそういう視点で捉えると、淡々と辻を語りつつも、そのとき組織はどのように動き、判断し、決定して後世語られる「辻政信」を生んだのかという点に思考を向けさせる。おそらくアイヒマンを論じたアーレントと通じるスタンスを持って研究されたのではなかろうか。
すなわち、好悪感情や事象の一断面だけで歴史や人物を語ることは、結果的には後世の歴史においても同じ誤りを繰り返すことへの警鐘が込められているようでもある。