満鉄が生んだ日本型経済システム

満鉄が生んだ日本型経済システム
小林 英夫
教育評論社


満州経営の国策会社として設立された南満州鉄道株式会社の作った日本の経済政策の推進方法が1989年のソビエト崩壊までは形を変えて日本に残り続けたという。
そして、今も残ってはいるものの、もともと満鉄がロシア革命をきっかけとした日本の戦争遂行を、そして戦後は東西冷戦体制下での経済発展のために、政治と官僚と財界とがうまく歩調を合わせながら進めていくことができた。
その中心人物は、満鉄に官僚として派遣され、商務省官僚、さらに戦後は内閣総理大臣にまでなった岸信介である。
しかし、ソビエト崩壊により、もともとソビエトという存在があって意義を持っていた満鉄体制は、意味を持たなくなってきており、その後の失われた20年や政権の不安定さなどに現れている。
現在の日本に必要なのは、戦後の通産省を中心として進めた経済体制にとってかわる体制であり、資源、製造にかわる中心となる産業の育成である。製造業に取って代わるのは必ずしもIT産業ではなく、高付加価値製造業である。そして満鉄調査部のような強力なシンクタンクがそれを推し進めるためには必要だという。
国策として経済推進を図っていくのは必要だが、補助を前提とした考え方はさて上手くいくのか読んでいて疑問ではあった。とはいえ、満鉄という一つの組織によってもたらされた経済体制が実はソヴィエトという存在を前提としたものであり、その構造が壊れると共に日本の方法も変えていかねばならないという点は、首肯できるところである。

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