買ったほうが安いのか?

およそ4.5年間使用したB社製FAXが故障した。送っても受信者側は真っ黒な画面しか出てこないという。受信、電話など他の機能にはまったく影響がない。
メーカーに問い合わせると、スキャナー装置の故障でよくあることらしく「蛍光灯の玉を取り替えるようなもの」らしい。修理代はメーカー持込でおよそ1.2万円、購入価格2.5万円のほぼ半分だ。
蛍光灯の玉を取り替えるのに1.2万円というのは苦笑するしかないが、そもそもそういった消耗品のような部品を取り替えるのに持ち込みまでしなければならないというのが、買い替えを促そうとする設計上の魂胆が見え見えである。
つまり、
(1)メーカーに行く手間隙>郵送コスト>電気店に行く手間隙
(2)(修理による延長使用効用/修理代)<(新製品購入による新たな製品寿命/購入コスト)
という価格政策を採れば、おのずと消費者は新しいものを買ったほうがよいと考えるだろう。
ここで貧乏性の小生としては、部品を仕入れて自分で修理してしまいたくなるのだが、スキャナ部分はコードが本体の奥に埋め込まれていて、特殊なネジを外さなければ駄目なようになっている。
以前、妻愛用(愛妻用に非ず)のミシンの電源ケーブルの受け口のピンが折れて、メーカーに問い合わせたら修理代2,3万円かかるといわれ、部品を送れといったらしぶしぶ500円で送ってくれたことがあるが、共用部品を使いシンプルに装着されているので、素人でも簡単に修理できた。部品を提供したメーカーには感謝している。
エコロジーとかごみ問題が騒がれているが、こういう家電製品は部品が入手できなければ修理できないので、ごみとして回収してもらうしか方法がない。ゴミの処理コストは税金と消費者の払うゴミ処理券でまかなわれているが、地球環境汚染という将来コスト(外部不経済)に置き換わっている(建設国債の発想と同じだ!!)。
それを避けるには基本は「物を大事に使う」に尽きる。買ったほうが安いという消費者の判断は誘導されたものである。メーカーの設計戦略も、結局は資本市場における業績評価手法に誘導されたものである。
同じ誘導するなら、修理したほうが安くつくような経済の仕組みを作らねば、この問題は解決しない。つまり資本市場経済というのは、実は、説明上都合の悪いものを捨象する経済学の発想がそのまま形になっている。経済(=経世済民)という語感からは凡そ対極にある。
「お天道様の恵み」という発想は、おのずとエコロジーとかエネルギーとかリサイクルとか、マクロな見方を含んだ概念だが、再度その言葉の意味を噛み締めたいが、結局、新しいFAXを買うことにして自己矛盾を感じ歯痒い思いをしている。

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