自分にとって都合のよい情報

自分は癌で死ぬかもしれないと思っている人の割合は実際の癌による死亡割合よりも低いとか、自分はいずれマイホームを持つと考えている人の割合は実際の持ち家比率よりも低いらしい。これは楽観的だということではなく、楽観的に考える傾向があるということなのだろう。
先日、ふとしたことから自分にもそういう傾向があることに気がついた。


私は週末に50人程度が集まる屋外行事(単なる芋煮会)が悪天候の場合に中止されるべきかどうかを判断しなければならない立場にあった。もちろん、皆が楽しみにしているため晴れてほしいと思っていたが、結果は雨で中止せざるを得なかった。
前日15時にインターネットなどから気象情報を集めピンポイントで雨の予報を調べたが、各社の情報は気象庁のデータを素にしているものの微妙に内容が異なっている。そのときに、いろいろとサイトを見ながら、明らかに自分の気持ちは「晴れと言っているサイトはないか」という意識であることに気がついたのである。
例えば「病気が治る」と称するインチキ商品がよく問題になるが、自分は「どうしてそんなことを信ずる人がいるんだろう」と思っていた。しかし、溺れるものは藁をも掴むというが、病気の人はたとえ医者に治らないと宣告されたとしても、「治るかもしれない」という希望を持ち続けたいと思うのは、明日晴れてほしいという気持ちと変わらない。
つまり、私は既に精神的には「騙されやすいモード」に入っていることになる。客観的な気象情報でさえそういう状況なのだから、私が病気になれば「聖水」も「つぼ」も「印章」も買ってしまうかも知れない。私の唯一の救いは高いものを買う金はないという点しかない。

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