子供二人がそれぞれ高校・中学の受験である。
思い起こせば、29年前、シンガポールから高校受験のために帰国したのだった。
いま息子がまさにその年になっている。
いつの間にか年を重ねてしまった自分を再認識しつつも、その頃の記憶はかなり鮮明。
人生にたらればを言っても仕方がないが、シンガポールに行ったことによるその後の自分への影響は計り知れないと思う。しかし仮に行っていなかったら今頃何をしているのだろうかと考えると、興味深い。
単に町医者になっていたかな?
子供二人がそれぞれ高校・中学の受験である。
思い起こせば、29年前、シンガポールから高校受験のために帰国したのだった。
いま息子がまさにその年になっている。
いつの間にか年を重ねてしまった自分を再認識しつつも、その頃の記憶はかなり鮮明。
人生にたらればを言っても仕方がないが、シンガポールに行ったことによるその後の自分への影響は計り知れないと思う。しかし仮に行っていなかったら今頃何をしているのだろうかと考えると、興味深い。
単に町医者になっていたかな?
ブラックジャックみたいな天才外科医になるって言ってましたもんね。
そうだねぇ。いまでも時々考えるけど。
でももし医者になっていたら、間違いなく多くの人を看取って「また救えなかった」と悔やみ続けて、今の仕事と同じような壁にぶつかったでしょうね。
結局なにやっても人生同じなのか・・・・
ここがロドスだ、ここで跳べ!(Hic Rhodus, hic salta!)ってことか。
医者になっていたら、一緒に働けていたかもね。そしたら心強いです。
何が良かったかどうか、分かりません。医者やってても、日々刑務所の塀の上を歩いているような心境です。最近、少しあきらめの境地になったというか、開き直ってきたというか、そんなところです。まだまだ心に迷いの多い日々です。
ゴンチャロフ殿
この年で跳べと言われても飛ぶのが精々です。
とんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでとんでとんで
まわってまわってまわってまわーるぅー
わっしょいどの
孔子が曰く四十にして惑わず。
ということは、四十は惑う年ということを言っているのでしょう。
わっしょいどのが医者になられたのは実はブログではじめて知ったのでした。
もしかすると工学部に進まれたと思っていましたので。