さようなら、いろは

新宿歌舞伎町の小料理屋「いろは」。
雑居ビルの3Fで縄暖簾をくぐると、カウンターのL字に沿って3人、10人が漸く座ることができる小ぢんまりとしたお店である。壁には女将さんが習っている三味線がぶら下げてある。歌舞伎町のぎらぎらとした雰囲気からはおよそ想像のつかない和やかな昭和の空間である。
いい頃合になるとギターを抱えた「流し」(げんちゃんとか言っていた)がやってきて歌が始まるが、客層から演歌や軍歌が多い。昨日は入り口付近で歌っていたご老人(といっては失礼だが)が、詰襟を着ている頃から知っているとおっしゃっていたこの道58年の女将さんである水谷さんは、既に80歳を超えている。親子3代御世話になった人もいるようだ。
私などは最後の10年間に御世話になった新参者だが、私のような若造を含めお客さんの名前や関係をよく覚えられて、一人で行くと「誰々さんは、どうしているの?」とか「この間、誰々さんが来てくれて、海外に転勤になるって言ってたよ」と話し、その記憶力には舌を巻く(完敗している)。
カウンターの奥に立ちつづけて水仕事をしてお客さんの相手をするのはさぞ辛いだろうが、アルバイトなどは一切雇わず17時に店を開けて深夜まで一人で切り盛りされている。尤も二人がカウンターに入るには狭すぎるが。それだけではなく、仕込みも季節のものを織り込むように工夫され毎日自分でされている。昨日は、冥加の梅和えとえんどう豆だった。定番は山芋を短冊に切って納豆と和えたもので、粘粘が交じり合って元気が出てくる。
いろはでは、薩摩焼酎の「小鶴」をロックで飲むのが定番で、並べてあるボトルはほとんどがこれだ。口当たりがいいことから、ついつい飲み過ごしてしまい、翌日に辛い思いをするのが恒例になっている。御燗はをつけるのも御湯で御猪口も少し温めて出してくれるのはここしか知らない。松江の「李白」は最近流行のちゃらちゃらした冷酒ではなく御燗で飲むと、また女将さんの料理にぴったりとあうのだ。
そういう、私にとって故郷のような「いろは」が今日で店を閉じる。
昨日は同級生3人が一部家族(4歳のあいかちゃんも立派なお客さん)を伴って最後の「いろは」を惜しんだ。店を出るときに女将さんと握手をしたら、ジーンときて涙ぐんでしまった。
女将さんは、これからは池波正太郎の江戸の町を歩きたいそうだ。
58年間、本当に御疲れ様でした。いつまでもお元気でいられることを願います。

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