横山紘一著(平成13年第一刷)大法輪閣
自分を手を指差して、「これは何か」と自問する。「自分の手である」と答える。では、その「自分」はどこにあるのか、と自問する。自分の体を指す・・・あれれ、自分の「体」というときの「自分」はどこにあるのか・・・「自分の体」は存在するのか。
こうして「自分」というものに対するこだわり、つまり「我執」に気づかせるところから本書は始まる。仏教哲学とはいえわかりやすく書いてあり、仏教用語も登場するがそれを読み飛ばしても著者の意は伝わってくる。
デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と、あくまでも自分の存在にこだわることで、世の中を主観と客観とで捉える矛盾から抜け出ることができなかった。
唯識は、他人の中に自分を見出し、自分の中に他者を見出すことで、関係性の中に事故を捉え、他者がいるからこそ自分が存在するという、相対的な自己について気づかせる。そこには事実を事実として素直にみつめること(これを智慧という)と、他者を慈しむこと(慈愛という)がもっとも大事なことであると説く。
企業経営などの研究もこういった観点からのアプローチをしてみると面白いかも。
「会社とは何か」「本当に会社は存在するのか」「なぜ会社がそこにあると思うのか」・・・などの自問は大切である。自己の存在意義を問いつづける組織が永続し発展するという考え方(野中著:アメリカ海兵隊)にもつながっているように思えるのだが、どうだろうか。