粉飾の論理

高橋篤史(著)東京経済新報社(2006年)

ライブドア、カネボウ、メディアリンクス、丸石自転車などここ数年の大型案件を扱った内容である。
テーマは後書にあるように粉飾は一人の極悪人の手によって密室で行なわれるものではなく、
いろいろな当事者が複雑に絡み合ってなされるというものである。粉飾の構造と言い換えることもできよう。

図を余り多く使わず、言葉で説明しようとしているので、いろいろな人間や会社が登場してわけが分からないということはよく伝わる。
面白いのは粉飾といいつつ、それを勘繰っていろいろな取り巻きが、会社を食い物にしていく状態が表現されていることである。
つまり小さな粉飾がそれを隠すための粉飾で塗り固められるだけでなく、もともとの傷を大きくするような別の力学が働いていることを、
粉飾に手を染めたものがなかなか気付かないという点が描写されているところが、本書の面白いところである。

嘘をつくと嘘を隠すために嘘をつくようになる。
しかし嘘を隠さねばならないという弱みに付け込むものがいて更に嘘をつかせてしまうという、恐怖の構造である。

「XX万人の従業員を抱える社長の気持ちが分かるか」という言葉を引用しているが、私はこれこそが粉飾の根拠であると考える。
そもそも社長の気持ちなど他人に分かるはずのないものを「お前に分かるか」
ときいて発言を封じていること自体が経営者の姿勢として問題である。

粉飾は必ず触れてはならないこと(タブー)から発生する。それは、昔年の先輩経営者の経営の残滓であったり、
経営者の小さな意思決定のミスであったりする。いったんタブーを作ってしまうとそれを糊塗する策をつくり、さらにそれを外側から隠し・・・・
という具合に、嘘は大きくなっていきいずれは破綻するのだ。つまり粉飾をなくすことは、タブーを作らないこと、
すなわち何でもコトが小さいうちに公けに対応を考えることである。また糊塗した問題は決して解決するはずはないということも知るべきだ。

その解は、経営者の交代であるかもしれないし、取引銀行の介入であるかもしれないし、新たな株主の登場かもしれないが、
問題が小さいうちなら大きくなってからよりも、より解決はしやすい。「XX万人の従業員・・・」の論理は聞き様によっては、
「自分が責任を取る」とも聞けるし「自分でなければ責任はとれない」という経営者の傲慢ともとれる。どちらでもいいのであるが、
上場会社においてはその判断は株主がやることになっているので、情報の開示による外部の力を上手に使うことも経営者の力量ではないか。

 

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