教養としての認知科学

教養としての認知科学
教養としての認知科学

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鈴木 宏昭
東京大学出版会

2016年5月27日読了

タイトルの「教養としての」は認知科学への入り口としての色々な研究について紹介する意図であり、各章末で参考文献が著者のコメントと共に紹介されており、更なる深い領域への興味を掻き立てる認知科学への入門書である。

自分にとって最も示唆に富んだのは、最終章の「世界というリソース」であった。リソースとは人間の思考の元になっている経験などの蓄積のことだが、身体の外部にある状況、環境、世界も思考のリソースになっているという視点だ。
言葉だけではなく図にして説明すると一目瞭然なのは幾何学が例に出される。ハノイの塔の問題を、みかん問題、ジュース問題に置き換えてみると、問題空間は全く同じであっても問題の存在する世界が与える情報が全く異なっているので、世界が与える情報が多いジュース問題が解決に要する時間が最小になるというのも、たとえ話などの重要さを思わせた。
これによれば、人間が捕らえている事象をいったん人間の外に出す「外化」によって世界の認知が代わり異なる状況を生み、別の認知プロセスが生まれ、別のプロダクトが発生するという流れは、「まずは絵に描いてみよう」というような日常的な行為の裏づけともなろう。
人工知能の入り口として手をつけた本だが、認知科学自体がとても奥深い分野であることがわかり、また一つ世界が広がった。

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