人道に対する罪

イラクのサダム・フセインが絞首刑になった。執行直前の映像が放映されたが、絞首台のロープが生々しい。
罪状は「人道に対する罪」。さて、人道とは人の道である。罪とは人の道に反することであろう。
つまり「人道に対する罪」とはトートロジーか何も言っていないに等しいのである。
人の道とは誰が決めたのだろうか。万国共通なのだろうか。イスラム社会から見た道と、キリスト社会から見た道は同じなのだろうか。
人の道が法律できちんと定義されないまま、人道に対する罪を言われても困る。
かつて日本の指導者たちが極東軍事裁判で同じく「人道に対する罪」その他で処刑されている。特に、戦争行為自体が人道に対する罪であるとするならば、戦勝国が敗戦国(とその指導者)を裁く行為そのものに疑問がある。
日本に原爆を落とした国には人道に対する罪がないのだろうか。
キリストは正義のために人を殺せと教えているのだろうか。確か「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」というような話を耳にしたこともあるが、信者ではないので詳細は不明である。

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