知的財産保護の別側面

最近の企業経営の根幹は貸借対照表に計上される目に見える有体財産や法律上の権利に基づく資産ではなく、企業の持つカルチャや歴史の中から醸し出されたノウハウにあると言われている。
これを受けてかどうかは定かでないが、「知的財産戦略」とか「知的財産の保護」を主張する声が大きくなってきている。
例えば政府のプロパテント政策、出版業界の貸本を規制するとか、著作権の効果を50年から70年にする動きなどである。
有史以来人間は生産された富の蓄積をいかに増やすかということで、強者と弱者を生んできた。つまり消費されれば消滅してしまう有限資源をいかに排他的に専ら私益するかという点が強調されてきたのである。
知的財産の保護とは、まさにこの「知の成果」の利用に排他性を与えて、経済的な利益を創造者に独占させ、もって「創造意欲」を高揚させようとするものであるという。
しかし、資源の有限性を前提とした排他的権利を付与するという考え方は、大きな問題もある。
知識はいくらコピーされても人間にとっての価値が減るものではない。むしろ知識は知る人が多ければ多いほど価値が上がり、利用されるほどその意義は大きくなる。つまり知的財産を財産たらしめているのは利用者であって、創造者ではないのである。
また、知識は過去の知識に上乗せする形で発展進歩していくものである。つまりある知識は歴史的な知識の存在を前提としている。旧い知識が利用されて新しい知識が生み出されてるという構造は、上記の利用者が多いほど知識は価値を持つことともつながる。
知的財産の保護は、このような「知の特性」による知の発展に逆行してはいないか。まるで邪魔立てするかのように。
むしろ知的財産を創造する活動を真の意味で高揚させるには、知の行使を排他的に制限するのではなく、むしろそれを奨励すべきなのではないか。そして、知の創造者に対しての報酬は、金銭を前提とする排他的経済権ではなく、創造者としての名誉や創造環境の付与などが必要なのではないか。
簡単に真似されるもの(つまりタダなら使うよというもの)を保護したところで、保護コストだけ余計に社会的負担がかかってしまう。
研究開発の成果報酬として巨額な対価が裁判で認められた。しかし、その背後にあるべき他の基礎的研究成果に対しても成果報酬を支払わねばならないことは、判決では触れられていない。さて、これでよいのだろうか?

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