意味とエロス―欲望論の現象学

竹田 青嗣(著)ちくま学芸文庫(1993)
在日コリアンである著者は、日本人でもないとはいえ韓国人でもないという立場から、自分の立ち位置を探し当てる過程で、現象学に行き着いた。他の哲学はさっぱり分からなかったが現象学はすっと入ってきた、そして現象学を理解したら他の哲学が言わんとすることがわかるようになってきたという。
そのような著者による現象学及びそれらを取巻く議論に対する数作品である。


著者の現象学のアプローチをあえて自分なりに捉えれば以下のようになる。
「目の前の机の上にコップが置いてある」という事実は本当に客観的事実として存在しているかという命題に対して、存在をあらゆる方法で疑ってみて唯一考えている自分の存在だけは疑い得なかったというのがデカルトの方法的懐疑である。
対して現象学は、そこにコップがあるかどうかということを客観的に証明するとかしないとかを考える前に、なぜ自分がそこにコップがあると思う(自分の考えを妥当する)のかを考えていくと、結局は他者とのかかわりによって自分の持っている意味的志向性(これをエロスと呼んでいる)を目覚めさせていくからであるという、いささか省略しすぎたまとめであるが、あえていえばそういうことだ。
私にとって著者のこの考え方は、自分とは何かをずっと考え続けていたときに、たまたま著者の書物(初めての現象学)に触れる機会を得て、それまで哲学とは無縁だった自分に哲学への興味を持たせてくれた、あるいは、哲学そのものが面白いと思わせてくれた。
客観的な事実に基づく自分なりの判断を表明することを意見というが、現象学的なアプローチは、まず自分がそれを妥当する根拠となっているのは何なのかを、いまいちど立場を乗り越えてじっくりと考えてみようという提案でもある。つまり、人間同士の争いごとを解決する手段としても使いうるものではないのか。

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