一年前に購入した本を今頃になって漸く読んでいる始末である。
著者は、インド生まれのジャイナ教の僧。本書は聞き取りによって書かれたものであるためか、あるいは翻訳者の見識ゆえか、翻訳でありながらもともと日本語で書かれたものであるかのように滑らかに読めていく。
デカルトの「我思うゆえに我あり」はすべての世界を主観と客観とに分けて捉えようとすることから、一方で事象と神とを切り離して科学の発展を呼び起こしたが、他方でその二元論的世界観から社会における対立構造を生み出し、問題を解決するには新たな視点が必要とされる。
共産主義であれ資本主義であれ、自己利益の追求が歴史を前進させ進歩と発展をもたらすという同じ考えに基づいている。この万人の万人に対する闘争状態を解決するためには、「ただ結びつけることさえすれば」の観念に立ち戻る必要があると説く。「存在することは相互存在することである。」「私たちの存在は他者の存在があって初めて可能である。」「すべての存在は参加のプロセスである。」という言葉の中に、関係性の中に存在を見出す考え方が凝縮されている。
最後に著者は「謙虚さ」が必要であるとしている。愛するものからの愛、善良なる者からの善、美しいものからの美を与えられることによって(依存して)存在していることを認識する、それがタイトルである「君あり、故に我あり」に繋がる。
