幕末日本と対外戦争の危機―下関戦争の舞台裏


下関戦争は、長州藩が幕府の攘夷命令を受けたことにして関門海峡を通過する欧州貿易船を攻撃し、その報復として四ヶ国の連合艦隊から下関の前田砲台をはじめとする地域を攻撃されたものである。長州藩はこれをきっかけに攘夷から倒幕に傾いていき、やがて明治維新に繋がっていくのだが、そのシナリオが実はイギリスの書いたものであることを伺わせる書物である。
史料はイギリス側のものを豊富に使っており、議会の様子や日本に駐留していた外国人が地理情報などを調べて、日本を攻撃するためにどれだけの日数やどの程度の軍隊が必要かといった情報も、既に当時は用意されていた。
しかしイギリス側は日本と全面戦争に突入してもメリットはなく、なるべくそれを回避したいと考えていた。つまりイギリスの戦略はあくまで友好条約によって日本との交易権を得て利益を得ようとするきわめて明確なものであった。
そうした反面の幕府の姿勢や雄藩の動き、また人物などを知った上で、本書を読むと、やはり当時の日本は情報を的確に得ることに対して疎かったという感を禁じざるを得ない。おそらくその体質や姿勢は大東亜戦争の悲惨な結果を招き、今日の時代の閉塞感にまで繋がっているのではないか。

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