誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性

2018年3月5日読了
本屋でタイトルに惹かれて購入したが、なかなかの秀作である。
新聞で人工知能が話題にならない日はないが、かなり眉唾な記事が多い。結局何でもかんでも人工知能にかこつけて企業が宣伝するのを新聞屋が真に受けて記事にしているケースが多いからだが、この著者の一人の田中潤は正統派の人工知能を活用したプログラムを書ける人であり、一方の松本健太郎は経営情報学を勉強しているのでそれなりのデータの読み方は心得ている、そういう二人が対談で、主として松本が質問し田中が答えるという形で話を進める。

最初に、人工知能は何故わかりにくいのかという話から始まる。ここが実は本書を読むに当たって一番大切なところで、開発の経験がある人が簡単に説明する力を持って説明したものが少ないからだと切り込むところから始まる。対談形式を採用したのもそれを克服しようとする試みだ。

主として開発者の立場から人工知能の漠然としたイメージと誤解を、具体的な「能力」を紐解きながら読ませてくれる。特にシンギュラリティとか仕事が奪われるといった誤解は、人工知能を知っている人ほど言わないらしい。あり得るシナリオとは、目的限定型の弱い人工知能が能力をつけてきて、少しずつ人間の仕事を置き換えていき、気がついたら色々なことが人工知能でこなせるようになってきたねという程度のものだ。特に

著者の言葉を借りれば、意味とは「失ったときに気づくもの」「ある状態とない状態との差分」である。意味を理解する人工知能は難しいとよく言われるが、著者は必ずしもそう考えていない。ただ、意味の意味を理解していないのは人間もそうなので、ない状態を想定した話が出来るかどうかが、人工知能と人間との大きな違いだと言っている。したがって単に意味がわかったかのように振る舞う人工知能があったとしてもそれは人間がどう解釈するかという問題であって必ずしも人工知能が意味を理解していることにはならないとしている。この辺はやや哲学的な領域だが、議論の根幹になっている。

後半になるほど意見は過激になっていき、ベイシックインカムの必要性などに話が移っていくが、この辺からはややついていけなかった。

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