知識創造企業観における会計(その2)

さらに現実的な問題としては、会計の大原則の一つである「収益と費用との対応の原則」が確保できなくなっているという事態がある。
企業活動の成果としての「利益」とは、得られた価値とかけた価値との差額で計算されるというのは容易に分かる。これを「ある期間における利益」として考える際には、努力と結果とのタイミングが必ずしも一致しない(通常は努力が先)。
商品販売を基本前提として発達した会計理論は、商品を仕入れた段階では費用とせず在庫に計上させ、販売されたときに払い出された在庫を費用(売上原価)として処理させることで、収益と費用の対応を確保させている。
これが、メーカーとなると、販売用の製品を製造するために要したコストを一旦は在庫としてプールし、商品販売と同じような処理を採る。
この考え方は、企業の価値の究極の源泉が販売活動にあるというスキーマに則っている。
しかし、知識集約型の企業、例えば一つの薬を開発して認可を受けて販売できるようにするために10年以上を要する製薬業や、作品を制作してパッケージ販売するアニメ、音楽などのコンテンツ産業あるいはソフトウェア産業などでは、販売できる状態にすることが大きな努力であり、製造活動そのものはパッケージングだけであるから、コストはほとんどかからない。
このような状況で、費用と収益の対応原則を前提とする期間利益概念は一体何を意味しているのかという疑問が呈される。
付加価値という用語そのものが、有形・有限の資源に対して形や組成に手を加える(付加する)ことで生成されるというニュアンスを持っているため、生み出されたものと失われたものの差分という概念で「付加価値」を利益として算定できるのである。
無形・無限の資源である知識は、使われるほど社会の価値は高まり、また使われても「磨耗」「消耗」することはない。むしろ知識を生み出すことが努力であり生み出された知識が成果であると考えるのが、素直な捉え方ではないか。
そのようなスキーマの前では、「収益と費用の対応」といわれても、スペースシャトルの前で天動説を聞いているような感がするのだが・・・。

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