知の時代と言われるようになって久しいが、最近は企業も知的財産の保護と権利の行使に熱心で、特許料の不払い訴訟や開発者の貢献利益など、お金にまつわる話が増えてきている。
会計の分野ではあまり議論されていないが、会計こそ大きなパラダイムの転換期にきているのではないかと思える。
伝統的な企業観における会計(すなわち現代の会計)では、稀少な資源を競争を通じて分配を行うことが、資源のより効率的な利用が促進されて、みんなが幸せになれると言う古典派経済学の考え方が基盤となっている。つまり幸せの原理は資源の公平・効率的分配にある。
したがって、企業活動の測定方法としての損益計算は、生み出した生産物の価値を収益とし投入された生産要素の価値を費用として、両者の差し引き差額で利益を計算する体系となっている。またその利益が資本に対する報酬として配当される仕組みになっている。
あらゆる経営資源はいずれ消費されなくなってしまうという前提があるため、資源の効率的分配には貢献しているようだ。が、一方で、資源の存在が与件とされているため、資源の大元が地球や太陽からタダで与えられているにもかかわらず、その地球に対しては公害やゴミなどの環境汚染を還元し続けるといった、人間の生産活動の大いなる矛盾が計算体系の中に現れてこないという問題を呈している。そして相変わらず貧困問題は解決していない。
しかし知識創造企業観においてはこの考え方は変える必要がある。
企業(である必要もないのかもしれない)活動の根幹は、人間による「知の創造」にあり、これをもっとも希少な生産要素とする。
現代社会では、知を恩恵を独占して行使することは、例えば資源の効率的利用方法を特許として独占することでより低い原価で生産が可能であったり、ある販売方法を独占することを他者が参入できないようにすることを権利として保障するなど、一般的には是とされている。が、しかし、これは裏を返せばもともとその「知の恩恵」を全体に行き渡らせれば、さらに資源の効率的利用が進むということを、自ら阻んでいることにもなる。
こういう企業活動の結果として利益を生む会社を「よい会社」として評価する会計パラダイムは、はてさて本当に社会に貢献しているのかどうか、考えるべき時がきている。
金(gold)という稀少金属などに代替する手段として開発されてきた「お金」によって企業の経営活動を評価するということは、もしかすると有限かつ稀少なものをより多く所有するほうが有利という考え方をそのまま是としたパラダイムが支配しているかもしれない。
より広くより多く利用されること、つまり施すことで社会貢献する「知」にとって、またそれを生み出した企業や人にとって、そういったパラダイムの下において「測定」に晒されることは、大きな不幸と言わざるを得ない。人類にとっても不幸である。
知を創造し知の恩恵を広めること、すなわち施しが「利益」になるような企業活動の測定手法(つまり新しい会計手法)が必要である。もはやそれが会計ではないとすれば、既に企業会計は衰退期に入っているということであり、太陰暦のように早晩社会において役割を終えるだろう。おそらく経済学も同じである。