経営と会計とリアリティ

企業会計原則に「真実性の原則」というのがあるのは、知らない人がいたとしても、当然と受け止められるだろう。
会計技術によって測定された企業業績が真実でなければ、その情報を参考にして投融資を行なう人が判断を誤るばかりでなく、上場企業の場合には証券市場全体に大きな影響を与えてしまう。そんな話をするまでもなく、「測定」が伴うところで情報が真実であることは必須の条件だ。
一方で、測定に当たっても判断が加わる場面も多い。国民所得統計でも、生産・分配・支出の三面等価原則というものがあるが、「誤差・脱漏」という欄が設けられているように、測定方法によっては大きな誤差が出たり、測定対象の採り方(認識の仕方)にも判断が加わったりして、必ずしも測定結果が一意に定まるものではない。
会計には真実性とは別に継続性の原則というのがあって、一旦定めた測定方法については継続してこれを適用することで毎期の企業業績が比較できるように(反対に言えば、認識・測定方法の違いによって数値に影響が出ることを防ぐように)なっている。つまり絶対的に真といえる正しい測定方法は存在しないという前提の下に、比較可能性を重視しているのが会計原則である。だから、数字の解釈の仕方はもともと複数あって判断次第で「幅」がでるという弱点を持っている。継続性原則はこの弱点をわかった上でそれを補完するために用意されているようなものだ。
さて、最近は会計不正(いわゆる粉飾決算)の事例がよく聞かれるようになっているが、粉飾とまで言わないしても、以下のような当事者の声はよく新聞等で見ることができる。
・(社員が粉飾しているとは)知らなかった
・(そういう会計処理ルールがあるとは)知らなかった
・税理士、会計士に相談したらその処理でよいといわれた
・いきなりだめだといわれた(昔からやっているのにどうして急に駄目なのか)
・もっと早く言ってくれれば対応できた
・既に役員会で承認してしまった
・株主との約束が果たせないと思った
などなど。
これらには、共通する思考がある。
(1)測定して報告する主体者としての責任(アカウンタビリティという)意識が極めて低い
(2)外部に責任の所在を転嫁している
(1)は(2)の原因であると同時に、(2)であるがゆえに(1)が直らないとも言える。
しかし、本質は、経営者が会社の本当の姿を追究しようとする姿勢があるかないかにかかわるといえる。自分が本当の姿を知ろうとせず、自分自身を解釈でごまかしとき、既に外部に真実を伝えようという姿勢は失われている。
経営は哲学が必要だといわれるが、社会における「善」を追求することが、企業の存在意義を追求することに繋がることはよくわかる。
しかし哲学と同時に真実(リアリティ)を知る態度つまり科学も必要なのだ。会社が真実から目を背けた瞬間から、会計の歪みが始まる、つまり不正(粉飾)は既に始まっているのだ。
歪みという字をよく見ると、「不正」だったりする・・・。

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