歴史の教科書に載っているあの源頼朝像は神護寺に安置されている肖像だが、近年の教科書では「伝」頼朝像として掲載されるようになっている。それは、頼朝ではなくもっと後の時代の足利直義であるという説が有力になってきているからだ。
本書は直義説に至る詳細な研究であり、単なる絵の解説ではなく、どのような経緯でこの絵が作られ、さらに「頼朝像」になっていったかというところまでを、推理を交えて解説している。
頼朝像はそれ単独で存在するものではなく、神護寺三像として国宝に指定されている。
そのうち、「頼朝像」の人物が頼朝ではない決定的な証拠として、その絵絹の幅(1.4mx1.1m)を挙げている。頼朝像は実物を見たことはないが、かなり大きなサイズであり、鎌倉時代にはその幅の絵絹は存在せず、南北朝時代に入って大陸(元)から輸入されるようになったものらしい。また、絵自体の大きさも俗人肖像画のサイズではなく、弘法大師像に匹敵する祖師像とするに相応しい。
記録の面からは、足利直義願文に書かれている、直義が足利尊氏・直義の肖像を奉納安置したとなっている点に着目しており、三像のうち二枚はこの二人であろうという推理だ。
観応の擾乱以後、尊氏・直義の二頭政治体制は、直義・義詮の二頭体制に移る。この際にも、直義が義詮の像を尊氏像のかわりに奉納することで、平穏を願ったとする。
拙文では本書の面白さは表現しきれないが、南北朝時代は日本史の中でも些か縁遠い存在だったものが、興味を持つようになったことは収穫であった。
最後に、神護寺の直義像がなぜ頼朝になってしまったのか。神護寺が、源氏を名乗った徳川の庇護を受けるために、「頼朝像」とすることが都合がよかったからだという。神護寺が復興する時期と徳川期の始まりが重なっているところからの推察である。
