空気と戦争

猪瀬直樹(著)文春新書(2007年)

内容は著者の東京工業大学での講義を本にしたものである。本の帯には「時代に流されずに生きろ」というメッセージが記載されており、
若者向の内容という印象を与える。が、これは組織において重要な意思決定の携わる立場の人たち(例えば経営者など)
が読むと非常に示唆のある内容であるように思う。

日本がなぜ太平洋戦争に突入していったのかという研究は、肯定論否定論双方含めて多くある。しかし後世の者から見れば
(いわば神の視点かもしれないが)、「所詮、勝ち目のない戦争をどうして始めたのか」というテーマである。この書物の著者の主張は、
そういった重要な意思決定がどういう経緯でなされたかを、一つの出来事を通じて解説しながら、実は「空気」
によって支配され決められたということを説明しようとしている。

当時、日本の大陸政策については、米国を始めとする連合国から不当であるとの要求が突きつけられていた。
欧米の対日圧力は大陸からの撤退を求めていた(実際に、
韓国と台湾だけ残して大陸からは撤退するという考えも日米交渉の段階ではあったようだ。)。しかし交渉過程で、
米国に頼っていた原油の輸入が制限されつつあり、
日本は石油資源を確保し国益を維持するために南方の石油を確保すべく開戦せざるを得なかったというのが、肯定論の一つである。

しかし、開戦するに当たっては当然にその影響がシミュレーション評価されなければならないが、
実際には総力戦研究所における図上演習がその評価舞台とされた。そこでの結論は、開戦しても石油の輸送力が追いつかない
(蘭印からの輸送船が攻撃され発生するロスの見積り方にもよるがそれは持久時間に置き換わる)ため、
戦争は泥沼に入り結果的に日本は負けるというものだった。

ところが、実際の大本営や統帥部などの議論の舞台では、いろいろなデータを都合よく解釈することで議論が進み、
批判的検討が通りにくいまま開戦の意思決定に至ってしまった。これには直接的言及はないものの、
天皇の意思は開戦反対であったにもかかわらず、結果的にそれを明示しなかったことに対する責任を含意としているようだ。ここに
「空気による支配」があったというのが、本書の主題の嚆矢である。

太平洋戦争では資源の確保(産業基盤の維持だけでなく、例えば軍艦や飛行機の燃料として)が大きなネックになっていた。
それは開戦の理由でもあり同時に軍事的基盤を確立する(軍艦や飛行機や軍需産業の維持)にあたっても必須の条件であった。しかしながら、
石油の輸送にあたっての爆撃等による輸送能力の減損率にあたって、希望的な数値が跋扈してしまったのである。

結果としては太平洋戦争突入によって、総力戦研究所の図上演習が文字通り再現され証明されてしまった。
時の総理大臣である東條英機の責任に帰することは簡単である。しかし、東條のみに責任があったわけではない。
言ってみれば為政者がどうあるべきであったかということよりも、誤った判断をせざるを得ない状況がどうやって作られてしまうか、
そしてその結果として意思決定者に責任転嫁するだけではすまない甚大な損失を受けるのは、組織の構成員(国家であれば国民)
であるということを再認識する。

一人一人の軽い責任放棄が如何に全体の意思決定を大きく変えてしまったか、また数字は「客観的」
として一人歩きしてしまうということに対する認識を新たにした。粉飾に関しても全く同じことが言える。「空気読めよ」
「モノが言えないムード」「発言が憚られる雰囲気」は粉飾への第一歩であるわけで、経営においても監査においても「空気」を読むことよりも
「空気」を作ることのほうが、よほど難しいのだがたとえよい空気を作ったとしてもそれは所詮「空気による支配」
から逃れきっていないことになる。だから「事実は何か」をきちんと積み重ねていくこと、
それに基づく発言と判断をすることが意思決定における基本動作なのである(当たり前なのだが)。

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