朝青龍がモンゴルに帰郷し「つるつるの泥温泉」で療養するという。
高砂親方は全責任は私にあるといいながら35時間でトンボ帰りしつつも、
とりあえず自分のカードからジョーカーが他に渡ったことでほっとしたような表情であった。
相撲は柔道や剣道と並んで日本古来の国技として世界的に知られているが、柔道・剣道がスポーツとして国際試合もあり、
海外にも猛者が多くいることに対して、相撲は海外巡業はあっても公式な相撲試合が海外で行なわれているという話は聞かない。
この理由を考えるに、今回の「事件」がその回答を与えてくれた。
相撲はスポーツではなく、日本相撲協会という組織によって維持・運用される、年寄株制度、徒弟制度、タニマチ制度、興行権、
TV放映権などの既得権の運用によって成立している利権構造なのだ。
横綱というタイトルはそういった構造の一部を担う役割を果たすことが期待されている「制度」であるため、
怪我を理由に巡業を休み故郷でサッカーに興じている横綱は制度趣旨に反する行為として非難される。
これが柔道選手の場合であれば、公式試合に出ないでサッカーをしても、非難は浴びるにせよ、
結局のところ試合に出なければ金メダルも取れないし柔道界から名前が消えていくだけの話なのだ。一方、実力さえあれば再復帰も可能である。
しかし横綱はチャンピオンフラッグではなく、優勝できなくても横綱である。その代わりに引退は自分で決めなくてはならない。
朝青龍は病気ということで、除名処分等の措置は事実上先延ばしになっているが、処分をするのかしないのか、相撲界の「利権構造」
を維持できるかできないかが関わってくることにもなる。さらには相撲界という興行体制を守るのか、
それともスポーツとして割り切るのかの選択を図ることに繋がっていくかもしれない。相撲協会としては慎重にならざるを得ないのは、
利権を維持するためには除名処分は止む無しだが、一方で横綱という役者がいなくなれば一時的には興行成績が落ちることになるので、
どちらがオトクかと考えているかもしれない。
最後の審判はどういうものであれ、必ず「国民の声(期待)を踏まえて・・・」という言葉で飾られるだろうが、国民の期待は、
利権を維持することでもなければ、個人としての横綱を見守ることでもない。誰であれ「さすが」といわせる相撲をとれる者が横綱になり、
相撲を愉しませることである。興行界をスポーツ界に変えろというつもりはないが、観客が愉しむという意義を失えば、どんな伝統も制度も、
それ自体が維持できなくなるいうのが冷徹な運命だろう。