フッサール 起源への哲学

斎藤 慶典(著)講談社選書メチエ(2002年)
フッサール起源への哲学 (講談社選書メチエ)


著者のフッサール理解。(p285)
いかなるものであれそれが「何物か」であるならば、それは既に何らかの仕方で現象しているのであり、<現象すること>の全体がそこから与えられたような外部など「無い」のである。・・・この意味で世界は他に比べるもののない「唯一無比のもの」、すなわち文字通り「すべて」なのである。
著者の更なる疑問。(p286)
「何か」が理解されているとすれば、それは「無」ではなく、「すべては存在=現象する」という事態の方なのである。・・・・もし「すべては存在=現象する」・・・・が本当に理解されたのだとしたら、そのときには「すべて」や「空」がすっきりとした輪郭をもって、すなわちその「限界」を画されて、現象しているからではないのか。そうだとすればそのとき、この「すべて」や「空」は外部をもっており、その限りでもはや「すべて」でもなければ「無限」でもないということに、どうしてならないのか。・・・はたして「すべては存在=現象する」とは、本当に理解可能な命題なのか。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.