いじめの議論

あれは小学校の6年生の時だった。
クラスでいじめがあった。今の時代のいじめとは少し様相が異なり、とある女子生徒が露骨に気持ち悪いとか嫌いといった悪口を言われたり、時に手を出されたりしたというものだ。

その生徒は一年生の時からほぼずっと同じクラスだったと記憶しているが、名前もはっきりと覚えている。彼女はおそらくポリオを患ったためか足がやや不自由だった。とはいえ体育の時間も皆と同じように授業に出席していて、特に「見学」などはしていなかった。「登り棒」で足と手を交互に伸ばしながら登っていく他の生徒と違い、腕力だけで上がっていく根性があったのを先生が褒めていた。今思えば、かなり気丈な方だったのかもしれない。

ことは、宿題として出されていた「日記」にその女子生徒の友人がいじめのことを書いたことから発覚した。
当時、担任であったH先生は戦時中に小学生だった体験を話されていたので、私の父親とほぼ同世代だったはずだ。先生はすぐさまそのことを終礼の際にクラス全員に対して問いただし、身に覚えのある者に挙手を求めたところ、男子生徒全員が挙手した。

それは先生の想定通りだったのかどうかはわからないが、「この問題は次回の参観日の授業で扱う」とだけ宣言された。

参観日当日は日曜日で、いわゆる「父親参観日」だった。いまはそういう言い方はしないが、当時、参観日といえば平日だったので母親が来るのが当たり前で父親が来れるようにとのことで年に1度だけそういう日があった。親たちはおそらく当日の授業など国語か算数かくらいしか考えていなかったろうから、いきなり「クラスでこういうことがあった」から始まった授業に面食らったかもしれない。

わずか45分の授業の開始は、まずいじめの実態を明らかにするために、女子生徒の作文から始まった。「わたしが男子からいじめられるようになったのは、あることからでした。それは、私が配った給食のおかずのお椀に親指のあとがついて・・・」かわれるようになった経緯が発表された。作文はもういじめないでほしいと訴えていた。

次いで、いろいろな意見が生徒から発表されたが、よく覚えていない。
その後に発表されたのは、女子生徒の父親が先生に託された「手紙」が披露された。

「◯◯子は小さいころ病気になり少し足が悪いです。何も悪いことをしていません。・・・みなと一緒に勉強がしたいだけです。どうぞもうこれ以上、◯◯子をいじめないでください。」そういった内容だった。先生はもともと体躯がよくハリのある声だったが、静かに淡々と読まれたため、その手紙を書かれたお父さんの気持ちはストレートに教室内に伝わった。実は教室にはご両親も参観者として出席されていたようだ。同じく出席していた私の父親が帰りの車中で「後ろで泣いている人がおったがあれは親御さんかのぅ」と言っていた。

小学校時代の授業のことをここまで鮮明に覚えているのは、いじめの問題が報道されるたびに、この先生の授業を思い出すからだ。いじめの事件が報道されるたびに、学校による問題の隠蔽とか、周囲の見て見ぬふりとか、周囲の大人が悪いとか、いろいろな意見や問題が出される。
が、ストレートに問題を公にし対応された先生の勇気と気迫が、また自分自身が親になって当時の手紙を書かれた親御さんの気持ち、この年齢になってずしんと重く心に響いてくる。

私にとってはとてつもなく大きな教育をうけた瞬間だったかもしれない。卒業以来30年以上経つが、ご無沙汰したままである。いまも故郷でご健勝であられようか。

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