叔母のこと

まだ普通にSLが走っていた頃、叔母の住んでいた家の近くの駅の操車場に、大人の足でも20分くらいかかるにもかかわらず、歩いてそこによく遊びに行った。おおらかな時代で、柵はなく中に入っても叱られることはなかった。私のSL好きの原点はここにある。

帰り道は私が疲れて寝てしまい、いつもおぶってくれたことをやたらと言っていたが、私には都合の悪い記憶はない。

私の小さいころの「奇行」については色々と語ってくれた。カルピスの原液を薄めないままがぶ飲みして気持ち悪くなり、庭先で吐いたときに背中をさすってやったとか、買ったばかりの口紅を蓋を開けないまま回転させて中をぐちゃぐちゃにしたとか、その語り草を思い起こせば、改めて可愛がってくれたんだと目頭が熱くなる。

とても明るい性格ではあったが、完璧主義なところがあり、残された手芸作品など見ると、プロのような作り方で妥協のないものが手元にある。

そのゆえかは分からないが、あまり人付き合いが上手ではなく、私の従弟が生まれてすぐに離婚し、晩年は従弟とともに一軒家に犬を飼ってひっそりと暮らしていた。

数年前に認知症の症状が出てきて、医者に診せたかったが、とにかく病院に行くことを嫌がり、従弟を困らせていた。さほど悪化する様子はなかったが、こちらも従弟に電話で相談に乗るだけで、いろいろと策を考えたものの、結局は何もしてやれなかった。

4月くらいから体がだるいと言い出し、そのうちトイレに行くのに介添えが必要となってきて、保健師に相談して連休の始めに救急車で病院に搬送された。私の仕事が繁忙期なので、とりあえず一山越えたら見舞いに行くよと話していた矢先、急に亡くなったとの知らせがあった。確定的な診断はされていないが、末期癌だった。周囲に心配をかけまいと辛いのをずっと我慢していたのだろうと思うと不憫でならない。

自分が産んだ従弟だけに見送られたかったのか、あるいは自分のやつれた姿を見せたくなかったのか、「自分のことは親族を含めて誰にも言うな」と言い残していた。が、それまでもこっそりと従弟は私にだけは教えてくれたので、相談して、姉妹のように一番仲のよかった同級生と、近所でお世話になった大伯母にだけは連絡して、お骨上げには来てもらった。叔母の子供の頃の話が少し聞けた。

いまは犬を抱いて微笑んでいる写真と生前に作ったマスコット人形だけが残っている。SLを見るのが少しつらくなった。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


計算式を埋めてください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.