宰相吉田茂

高坂正尭(著)中公クラシックス(2006)

1968年に刊行された高坂論文。著者30歳前である。

昭和40年ころに著述された「宰相吉田茂論」「吉田茂以後」「妥協的諸提案」「偉大さの条件」の四つの論文が掲載されている。
高坂論文は高校生のときに雑誌「正論」で随分と読んだが、実に20年ぶりに読んだ。

著者は、吉田茂が経済中心で軍事を米国に頼るという構造をとったことを戦後の状況においては「そうせざるを得ない」
判断であったとしているが、一方で吉田がそれを自らの信念に基づいて遂行していったことを評価しつつ、他方、
世論というものをあまり考えなかったために表舞台から退かざるを得なかったという。

吉田の作った戦後の体制は、体制そのものを評価するということではなく、
斯様な状況の中でそれを作ったこと自体を評価されるべきであると主張し、後世が「吉田体制」を無批判に引継ぐことを戒める。
吉田の基本理念には経済再生が根本にあり「一国の外交は軍事力によって自国の利益を守ったり、
自己の意思を他国に押し付けたりすることではなく、経済の相互利益の網を作り上げ、それを操作することによって自国の利益を守る・・・」
と評し、「外交と金融とはその性質を同じくする。いずれもクレディット(信用)を基礎とする。」という吉田の言葉を引用している。

状況(得たいの知れない「世論」)に迎合せず、自分の考えを貫き通したところが、
自由主義者であっても民主主義者ではない吉田の政治姿勢であり、結果的にそれが物事をシンプルに見極めることができた原因と見る。
民主主義は指導者が大衆に迎合し、大衆は自分勝手なことしか言わないことから、結果的に誰も責任を取らないか、
独裁者を生み出す欠点を持っているという。自由主義は、統治者に統治者としての責任と地位を認め、
被治者には一定の権利を統治者にNoをいう権利を含めて保証する。自由主義は民意から乖離し独りよがりとなる欠点を持つ。
吉田は両者のバランスを理解した上で政治姿勢をとっていた。

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