人気のカレーショップで廃棄処分された食材が処分業者から別の食品業者へ横流しされ、さらにこれが転売されて一般市場に出回っていた事実が発覚した。
食の安全と安心という観点からは由々しき事件ではあるが、少し別の観点から考える必要がある。
日本では、どういう推定計算かは不詳だが、廃棄される食材が年間1900万トンもあるという。
国の安全の確保、衣食住の確保、利便性の追求という形で経済は発展してきたが、日本はこと食糧の確保については米作農家を保護するだけではなく、野菜や果物、乳製品、肉類など相当量を輸入に頼ってそれを実現している国である。
そういう国で、食べるものを捨ててよいという価値観の正当性はどこから出てくるのだろうか。
食品が人の口に入る以上、それは体に危害を加えるものであってはならないが、かつては例えば頂き物で量が多いと近所におすそ分けするとか、なま物は加工調理して保存食にするといった方法が採られ、魚の骨は猫の餌になり、果物の皮は畑の肥料になった。
食べるものは、食べるためにあるので、その役割を最大限に活用するのが、生きるもののありかただろう。
さらに流通を効率化して食に困る人がいないようにするということも現代社会の必要な使命である。
しかし24時間弁当が買えるコンビニや、宅配ピザ、あるいは消費期限ならぬ賞味期限を書かねばならぬほど余ってしまう生産量。
これは、本当に必要な人のために用意されたサービスではなく、ある意味での人間のわがままを効率性とか利便性とかいう名の下に満たそうというところから来ている。仮にそういったところから食材廃棄が出ているとすれば、それは何かが間違っていることになろう。
かつて、海外の安い賃金で生産された冷凍食品(餃子)に製造ラインで毒物が混入されていた事件があったが、生産、製造、流通で安全を確保するためにかなりのコストをかけて、さらにその上に廃棄食品を生み出していても、経済的な合理性があるとすれば、尺度という意味で貨幣経済を誤った形で運用しているとしか言いようがない。こういうコストをかけることがわれわれの目指す経済成長なのか。件の食材も「プラスチック片が混入した疑いがある」とのことで廃棄とされたものだ。
本来、経済の目指している効率性とは貨幣的なものではなく希少資源を有効に使うというところにある。
草原のライオンが獲物を捕らえると、他の動物は逃げるのを止める。つまりそれ以上の殺生はしないという摂理が働いている。万物の霊長と嘯く者は畜生でさえ持っている知恵を失ってしまったのか。日本には「もったいない」という言葉があったはずだ。