山下奉文―昭和の悲劇

福田 和也(著)文春文庫(2008年)
山下奉文といえば、大東亜戦争でマレー半島を南下し当時英軍が支配していたシンガポールを陥落させ、英軍のパーシバルに「イエスかノーか」と無条件降伏を迫り、マレーの虎と称された陸軍の将軍である。
そして、終戦時にはフィリピンで拘束され戦犯として処刑されるのだが、その時にマッカーサーはパーシバルを処刑に立ち合わせたという悲劇の将軍でもある。この辺りまでの話は、山下奉文の名前を知っている人ならば、共通認識としてあるだろう。


しかし、本書ではそのイメージを覆すまでもないが、少し考えさせられたのが本書である。
まずシンガポール陥落後に、市中に入りゲリラを粛清するために、後に現地では「華人虐殺」と呼ばれる現地での責任者であったことは、シンガポールに住んだことのある自分としては直接の関係を知っていなかったことを恥ず。
山下は、2・26事件の際の皇道派の青年将校に肩入れしたとして、天皇に見えることなくいわば海外に左遷されたようだ。最初は対ソ軍として満州にいたが後に南方への転進を命ぜられ、マレーに赴く。シンガポール陥落後も、東京に凱旋することなくそのまま大陸に覆面将軍として配属され、さらにフィリピンへと転属させられている。
本書は、山下の一連の行為を「組織軍人」として採らざるを得なかったものであるという共通テーマで書かれている。彼のシンガポールやフィリピンにおける行為は、歴史的評価としては極めて糾弾されているものの、一方で現場の将軍だけにその責めを負わせるのは、東条英機一人に戦争責任を負わせるのと同じく、物事の本質を見たことにはならない。そういう立場で、著者は山下を題材として扱うことを半ば躊躇しながらも、組織人としての共通項が現代社会にもあるのではないかという視点を持って書いていることから、組織に追い込まれた将軍の悲劇が伝わってくるだけでなく、残虐行為こそしないものの組織との関係を持っている自分の行動規範がいったいどうなっているのかということを、改めて考えさせられる一冊であった。

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